告発の事実/関与と役割/被告発人大網健二/平成元年1月に旧珠洲郡内浦町の松波港で自殺した蛸島のTSと、本件告発事件の関連性(2)



告発の事実/関与と役割/被告発人大網健二/平成元年1月に旧珠洲郡内浦町の松波港で自殺した蛸島のTSと、本件告発事件の関連性(2)

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〉〉〉 Linux Emacs: 2021/08/12 17:24:50 〉〉〉

- 1500:2021-08-12_17:15:07 #告発状 平成21年9月10日付本部長宛上申書/8月4日の朝に発見した、「依頼者の言い分を細かく書くな」という弁護士・司法修習生向け研修YouTube動画https://hirono-hideki.hatenadiary.jp/entry/2021/08/12/171505


 上記のエントリーの続きになります。終わりの方に昨日の8月11日にバイクで珠洲市に行ったことが書いてあると思いますが、帰りに立ち寄ったのが松波の図書館でした。能登町図書館関係施設には松波図書館(分館)とあります。

 この図書館のことは、8月6日の午後、ノートパソコンを持って宇出津の能登町立中央図書館に行ったとき、係の人とWifiの話をして、松波と柳田はWifiが使えると聞いたのです。松波に図書館があるとは初めて知ったかもしれません。

 宇出津の図書館はWifiが設備されていないのですが、隣に「たびスタ」とかいう観光の店があって、図書館の入口近くだとWifiに接続できることもあるのですが、電波は悪くほとんど使えないような状態です。数年前から変わっていませんでした。

 その結果からお話すると、松波の図書館はWifiに接続でき電波の状態も良さそうでしたが、セキュリティのエラーが出てブラウザやTwitterは使えませんでした。

 事前にGoogleマップで松波の図書館の場所は見ていたのですが、旧内浦庁舎の横に出来た新しそうな建物でした。建物に入ると左手に何とか福祉課などがあって、ここが新しい能登町の内浦庁舎なのかとその時は思っていました。

 隣に古い旧内浦町の庁舎の建物があって、老朽化で移転したものと考え、宇出津の能登町役場新庁舎の開設に伴って、内浦庁舎にあった課が宇出津に移転し、課の数が減ってこじんまりした新庁舎になったのかと考えていました。

 さきほどGoogleマップで調べたところ、松波の新庁舎と考えていた建物は、松波の公民館となっていました。健康福祉課について調べると、前の内浦町庁舎の古い建物のなかにあるようでした。

 この松波の健康福祉課だと思いますが、平成21年の10月に相談に行ったことがあり、そのときは、前の内浦町庁舎の古い建物とは別の横にある建物だったと記憶にあります。

 今、宇出津の図書館で8月6日にもらった「能登町図書館関係施設マップ」というちらしを見直すと、「松波図書館(能登町役場松波総合支所)」とありました。道路沿いに赤い目印があります。

 その道路沿いの新しい建物に入ったのですが、広い通路の左手は、何とか福祉課となっていて、部屋で役場の人が仕事をする様子が見えました。その隣が会議室となっていたように思いますが、その隣が突き当たりに近いトイレでした。

 トイレから出てくると、突き当りの部屋の前に女の人がいたので、図書館のことを尋ねると、図書館の係の人だったらしく、少し驚いた様子で通路の反対側のスペースを指差してくれました。

 通路との仕切りのないような図書館でしたが、これまでに見たことのない小さな図書館だったので、それも驚きでした。

 奥の方に進んで本棚に目を向けると、目線の高さの棚に文庫本が並んでいて、西村京太郎の「能登・キリコの唄」という本がありました。

 取り出して表紙を見ると、絵か写真で石崎奉燈祭のキリコが並んでいて、和倉温泉の横が七尾市石崎町なので、七尾市が舞台の作品だと思ったのです。それでも珍しく思ったので、ページを開いてぱらぱらめくっていくと宇出津が出てきました。

 家に戻ってからネットで調べると、2019年の本の表紙は宇出津のあばれ祭りのキリコになっているようでした。図書館の帰り際にも一番後ろの方のページで確認すると平成22年などとなっていました。

 気が付きまでしばらく時間があったのですが、最初は能登半島を舞台にした「ゼロの焦点」の松本清張と取り違えてままページをめくっていて、十津川警部という見覚えのある登場人物の名前が出てきて、思い違いに気がついたのです。

 宇出津が出てくるページだけ飛ばし読みをしていたのですが、トラベルミステリーの印象が強い西村京太郎の作品にしては珍しく、鉄道の時刻表は出ていなかったように思います。

 宇出津のあばれ祭りが西村京太郎の小説に出てきただけでも意外性が高かったのですが、その内容にも驚きの発見があって、地元ではおよそありえない話がいくつかあり、地元でなければ気が付かないことにも新鮮な発見を感じました。

 間違いだと完全には否定できないところもあるのですが、少ないとも昭和40年代以降、宇出津の家に男の子が生まれて、小さなキリコを作って飾るという風習はなく、そういうキリコは実際にあるのですが、2メートルはあり得ないと思いました。

 数年前にそのような風習があると聞き、実際に見たのは同じ能登町でも小木で、秋祭りの袖ギリコでした。袖キリコなのかよくわからないのですが、他のキリコとは違って、山車になっています。

- 小木袖キリコ祭り|行事案内|能登町役場https://t.co/IsrLl3GsOA 能登半島では珍しい奴凧を思わせる形の大あんどん。クライマックスでは、9基の袖キリコが御船神社に向かう急で細い坂道を押し上げられる。その強さと迫力は漁師町ならではの勇ましく迫力ある祭り。


 内浦町だった小木の隣で、宇出津と同じ能都町だった姫も小木と同じ袖キリコの祭りですが、鵜川のにわか祭りもかたちが似ています。鵜川はキリコと呼ばないと思いますが、他の能登一円のキリコとはまるでかたちが違っています。

 個人の小さいキリコというのは、たまに見かけてきたのですが、一番大きいと思ったのが、7月の初めの頃にコンセールのとで見かけた展示のキリコで、中止になったあばれ祭りにかわり、ささやかな展示の催しとなっていました。

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> 2021-06-25_150631_コンセールのと ミニキリコ展 6月26日〜7月6日.jpg https://t.co/sh3CZPr01D


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> 2021-06-25_150604_コンセールのと ミニキリコ展 6月26日〜7月6日.jpg https://t.co/MWihc1prs3


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> 2021-06-25_150558_コンセールのと ミニキリコ展 6月26日〜7月6日.jpg https://t.co/sE1Pcq5HBy


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> 2021-06-25_150551_コンセールのと ミニキリコ展 6月26日〜7月6日.jpg https://t.co/STD8H9nYs6


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> 2021-06-25_142525_コンセールのと ミニキリコ展 6月26日〜7月6日.jpg https://t.co/NyCud7gIts


 写真を探すと7月ではなく、6月25日の撮影でした。「ミニキリコ展 6月26日〜7月6日」という張り紙があったことの先程気が付きファイル名に使ったのですが、私が見たのは前日の6月25日だったようです。

 借りていた3冊の本を返しに行ったときのようですが、借りて家に戻ってから一度も開くことがないまま返却したという記憶です。

 見たことがないほど大きい個人のキリコに見えたのが、あって1メートル50センチだと思いますが、西村京太郎の能登・キリコの唄では2メートルとなっていて、それも家に男の子が生まれれば、当然のように制作されるという話になっていました。

 飛ばし読みだったので、断片的なことしかわからないのですが、繰り返し見たのは1歳半で東京の養護施設の前でダンボール箱に置かれていた人物、そのダンボール箱にキリコのキリと書いてあったことが、解決への糸口となっていることです。

 「キリ」から「キリコ」、「キリコ」から宇出津というのはずいぶん無理のある筋書きだと思い、それも非常に珍しく、新鮮に思えました

 繰り返し宇出津と出てくるのですが、それがF町となっていました。たぶん東京の警察がF町の役場に問い合わせて、28年前の該当者を探し出そうとするのです。

 寒ブリ漁の定置網の話も出てきて、3年続いた不漁が億単位の借金と東京への失踪、1歳半の男の子のダンボールの話につながっていました。

 私も詳しいことはしらないのですが、この寒ブリ漁の定置網というのも、地元では大敷網と呼ばれるもので、宇出津にもありますが集落ごとになりますが、他に小浦、藤波、波並、鵜川は聞いています。

 10年ほど前になり、読んだ内容の記憶もはっきりしませんが、宇出津の隣の集落の羽根で、大敷網の損傷で億単位の損害が出るとか、そういう話を見かけたことがとても強く印象に残っています。

 羽根の漁港はとても小さく大敷網のようなあるていど大型の船を見かけたことがなかったので、それも気になっていました。

 それでも宇出津の大敷網の網元で破産し、家屋敷を売り払ったという話は近年聞いていたので、身近な話のようにも思えていました。

 平成22年より後になり、5年ほど前だと思いますが、寒ブリ漁が記録的不漁となり、例年1月の中頃に開催されていた宇出津港寒ぶりまつりが中止になったということはありました。それでも2年、3年連続の記録的不漁は聞いていないと思います。

 地域の経済に深刻な打撃を与えたのは昭和59年頃の、二百海里問題で、これは小木と姫の遠洋漁船の問題でした。この姫と小木は沿岸の水深が深すぎて定置網漁をすることが出来ず、早くから北洋の遠洋漁船に乗り出した歴史があると聞いています。

 家に戻ってからTwitterの検索で「能登・キリコの唄」という本を調べたのですが、ツイートだけでもけっこうな情報量がありました。最後は切ない終わり方をするという話もありました。

 水曜日で平日だったので宇出津の図書館と同じ18時までと思っていたのですが、17時の閉館だったらしく、まもなく閉館という声が係の人からありました。どちらかわからなかったですが、少なくとも2人、係の女性がいる様子でした。

 飛ばし読みをしていたときも刑事裁判や弁護士の話が少し出ていたのですが、ネットで見た情報だと、銀行強盗の逮捕に協力した人物が、逮捕された数人の被疑者から共犯者と名指しされ、行方をくらましたという話だったかもしれません。

 警察がその行方をくらました人物を捜索し、探り当てたのが宇出津の夫婦の子供で、夫婦が定置網の失敗から借金苦となり東京に逃げ、ダンボール箱に捨てられた、という話になっていました。

 時間の関係もあり、文庫本の小説の大幅な読み飛ばしをしたのですが、それもたぶん経験のないことでした。文庫本の小説を読んだのは拘置所や刑務所に服役していたときぐらいです。

 さきほど新たに名称を知ったところの能登町役場松波総合支所ですが、通路の奥に昔の殿様の銅像のようなものがありました。松波にそのような歴史が記録されているとは知っていたのですが、殿様の銅像があるとは驚きでした。

 2,3年前に、あるいは昨年に、バイクで松波城址に行ったのですが、一番見つけたかった相撲場は、あったという場所も見つかりませんでした。

 過去のニュースが群馬県にあるかもしれないと思い、2時間ほど前に調べてみたのですが、Googleの検索のトップと2ページ目に私のブログの記事がありました。

- 沼田 陸橋 飛び降り - Google 検索https://t.co/RsegP0kfFj


- 群馬県内関越自動車道の沼田インター付近で飛び降り自殺をした松波中学校の元相撲部員、新潟運輸の運転手、という金沢市場輸送の運転手KOの話 - 告発\金沢地方検察庁\最高検察庁\法務省\石川県警察御中2020https://t.co/nrHZggnYbN


 Googleの検索結果からリンクを開くまで気が付かなかったのですが、トップにあったのは、上記の私の記事でした。

 まともに読んでいると時間がかかりすぎるのでざっと目を通した程度です。

- HOME - 珠洲市立緑丘中学校https://t.co/bxzKT5otW7


 Googleの検索で初めてみたホームページです。珠洲市立緑丘中学校とありますが、この中学校のことを始めに知ったのも能都中学校の1年生のときの、松波での相撲大会でした。優勝候補の一人がその中学校と聞いたことです。

 緑丘中学校とありますが、珠洲市の広い道路沿いに入口があるのは、昭和56年か昭和57年にバイクでその前を走ったときだと思います。周囲に建物がなく、珠洲市でも正院町の近くだとずっと思っていました。

 同じ頃に正院町も蛸島町も緑丘中学校と聞いたのですが、珠洲市の中心になる飯田町の飯田中学校というのは聞いたことがありませんでした。また、緑丘中学校は生徒数の多い、マンモス校というイメージも当時ありました。

 昨日の8月11日は、鉢ケ崎海水浴場のからの引き返しで、その緑丘中学校のことを思い出し、バイクで走行していた農免道路沿いを注視していたのですが、飯田高校の近くになってからそれを発見しました。

 飯田高校の場所を知ったのも平成21年の秋で、母親が珠洲市総合病院に入院してからのことです。宇出津では一番頭の良い生徒が進学するのが飯田高校で、その上に七尾高校があるとも聞いていましたが、七尾高校に進学したのは能都中学校で一人だけだったと思います。

- 学校紹介 - 珠洲市立緑丘中学校https://t.co/XdjoVRStM6 本校は,昭和43年に,当時の春日中学校・若山中学校・正院中学校・蛸島中学校の4校の統合により開校しました。平成15年には上黒丸中学校,平成17年には日置中学校と統合し,平成30年度には開校50周年記念式典を行いました。


 Googleで調べても珠洲市に飯田中学校というのは情報がなかったのですが、春日中学校とあるのは、飯田町の珠洲市役所の側にある春日神社に関連がありそうな校名です。国鉄の飯田駅もちょうどその辺りにありました。

 初めて知ったのですが、春日中学校の他に、若山、正院、蛸島とあり、若山が含まれているのは意外で、思っていた以上に範囲が広いことになります。

 珠洲市の若山ですが、Googleマップで範囲を確認していないものの、大谷町や輪島市の町野に隣接する広範囲になると思います。

- 若山町 - Google マップhttps://t.co/w9UOc6PgAR


 検索結果にちょっと驚いたのですが、思っていたより飯田町や野々江町に近く、広い範囲となっていました。

 この珠洲市若山町から珠洲市大谷町の間は、大谷峠があって、現在は広い道路となっていますが、昭和50年代は曲がりくねった狭い道路で、ヘアピンのロケット道路とも呼ばれていたと思います。

 その大谷峠で大型あるいは中型のバイクを走らせていたという話を最初に聞いたのが、松波港で自殺した蛸島のTSさんになります。

 珠洲市大谷町には、水産高校本校の同級生がいて、宇出津の大棚木の志水寮で生活をし、何度かその寮に遊びに行っていたのですが、夏に一度だけバイクで遊びに行き、大谷町の家に一泊したことを憶えています。

 記憶ではその翌日なのですが、同じく水産高校本校の蛸島の同級生の家に遊びに行きました。途中に、駐在所の警察官のバイクに追いかけられているその同級生のバイクも見かけていたのですが、何事もなさそうな様子でした。

 その同級生の名前はずいぶん変わった名前として記憶にあるのですが、他に一人正院町から水産高校本校に通学しているという名前を聞いていました。遊びに行ったのは、同じ本校の生徒で、宇出津の城野町と大棚木に家がありました。

 この二人とはいつもバイクで一緒に行動していたと記憶にあるのですが、宇出津高校のキャンプに夜に参加した記憶があり、その場所というのも珠洲市蛸島町と近年知った鉢ケ崎海水浴場でした。

 その城野町に住んでいた方が、被告発人大網健二の兄の鳶職の会社で平成9年から平成11年当時、被告発人大網健二が番頭というナンバー2の立場にあったHSになります。

 この宇出津の城野町は、宇出津でも特徴のある町内で、ほとんどが町営住宅となっていました。現在は戸数も減り、昭和50年代とはずいぶん変わっており、HSの話を聞くこともありません。

 このHSとの付き合いは小学校の5年生ぐらいだったと思いますが、私が石川県立水産高校小木分校の1年生になった昭和55年から調和60年ぐらいまでは、特に親しくしょっちゅう一緒に行動をしていました。

 1つの転機となったのが昭和60年だと思いますが、事情もあってHSが遠洋漁船に乗り組むこととなり、その遠洋漁船の仕事をしたことで同じ遠洋漁船の仕事をしていた個人的に被告発人浜口卓也とずいぶん親しくなった様子でした。

 被告発人大網健二の兄の鳶職の会社というのは大網商事になりますが、平成9年から平成11年には、関係者KYNの配管設備の仕事をしていた関係で、現場でも顔を合わすことがありました。小松市の身体障害者の施設、辰口庁舎の現場です。

 平成10年の11月、被告発人大網健二が大学の先生を招いた講習を関係者KYNの事務所で開いたという話の直後も、仕事先から帰った私がHSと話をしていたのですが、遊びに誘われることは一度もなく、距離をおいている様子がうかがえました。

 平成14年の宇出津のあばれ祭りになりますが、2日ある初日の夕方に、関係者KYNの自宅にいるMT君から電話があって、宇出津の酒垂という町内にある関係者KYNの家に行って、二日間、酒垂の町内のキリコを担ぐことになりました。

 宇出津のあばれ祭りは、夜店が並ぶのですが、終端が旧能登町役場の近くでした。ちょうどその夜店のはずれだったと記憶にあるのですが、酔ったHSに、「あんちゃん、頭なっとないか?」とからかうように言われたことをよく憶えています。

 HSら大網商事の社員は、当時は珍しかった、江戸火消しのような文様で分厚い生地の法被をそろいで着ていました。それも印象に残っています。

- 有限会社大網商事https://t.co/uCPR1vDTvs \n 法人番号指定年月日 \n 2015年10月05日 \n 変更年月日 \n 2015年10月05日


- 大網商事 石川 - Google 検索https://t.co/si6PJfexgl


 数年前から1年に一度ぐらい思い出して検索をしているのですが、浜口商運と同じで求人情報しか出てこず、それもかなり古い情報と思われるものでした。今回は、2015年という情報が一つ新たに見つかりました。

 4,5年前に一度、被告発人大網健二の兄をお盆の墓参りで見かけたという話を聞きました。全国的な8月のお盆ですが、風習の異なる金沢では7月だと聞いています。それも宇出津小学校の裏手の墓地だと聞いていました。

 この宇出津小学校の裏山の墓地は、小学校の高学年の頃あがって以来、行ったことがなかったのですが、4年ほど前にあがったことがあり、写真撮影もしているのですが、被告発人大網健二の兄の話を聞いたのは、その1、2年ほど前かと思います。

 そのとき、益谷秀次の墓という案内板を見たのですが、お墓は余り大きくなかったという印象が残っています。テレビニュースですが、お墓が大きく印象的だったのは、自殺したという京アニ放火事件の被疑者の父親のお墓でした。

 大きなお墓を見て心を動かされたのは、今一女児殺害事件のちに栃木女児殺害事件となった事件の被害に遭った女児のお墓でした。

 次が、Googleの「沼田 陸橋 飛び降り」の検索結果2ページ目の4番目に表示された私の記事になります。

- ### 松波城址の相撲場,その大会の個人戦で優勝候補と聞いた選手が,関越道沼田インター付近の陸橋から飛び降り自殺したという金沢市場輸送の社員運転手の話 : 金沢地方検察庁御中https://t.co/VUG1rYc90X 2020年6月22日 (月)


 余り見ることのなかった自分が管理するブログの1つですが、埋め込みツイートの表示がないようになっているようです。今回は久しぶりにページの表示、読み込みに時間がかかっていました。

 実名ではなくKOとしている金沢市場輸送の長距離大型車の運転手ですが、当時は石川県珠洲郡新保だった住所が、白丸だったとも思え、けっこう長い間、その運転手のことを考えたとき、取り違えて白丸の場所の風景を思い浮かべていました。

 本日、2021年の能登町の電話帳で確認したところ、その他に見ない名前は、能登町で新保に2件だけありました。金沢市から戻って定住している可能性も考えたのですが、その名前はありませんでした。

 松波中学校の相撲部員で、群馬県で飛び降り自殺したとKOから聞いた人の名前は今でも憶えているのですが、旧内浦町の広報誌でその名前がフルネームで特定できる可能性も考えました。

 群馬県の関越自動車道の陸橋は自殺の名所にもなっているらしく、探し出しのも困難かと思いますが、はっきりしているのは新潟運輸ということです。これが作り話だったとは思えないのですが、仮に作り話だったとすれば、計画的な関与が特定できることになります。

 蛸島のTSさんの自殺ですが、北國新聞では記事を確認できませんでした。前にも書いていると思いますが、被告発人安田敏の友人で蛸島のSMという男の強い勧誘で、3ヶ月か長くて半年、読売新聞を購読した時期がありました。

 私が体験した記憶は劣化していますが、当日は朝の新聞で蛸島のTSさんの自殺を知り、午前中に金沢市場輸送の事務所にいたのも珍しかったのですが、集まった運転手の数も珍しく、さらに全員が知ったように自殺のニュースを話題としていたのです。

 あるいは私の記憶違いで当日ではなかったのかもしれないですが、午前中であったことは強く印象に残っています。その場にいたとしてはっきり記憶にあるのは、大西真さん、竹林、庸車をしていた越坂のKSさんです。

 ここにOSの姿もあったように思えてきたのですが、保冷車で長距離の仕事をしていたOSの姿がそこにあったとすれば、金沢市場輸送の保冷車の長距離の仕事内容からかなり珍しい偶然が重なっていたと思います。

 そのOSの口から自殺した蛸島のTSさんの話を聞いたような記憶もあるのですが、改めて考えると二人に接点があったとは考えにくいところがあります。

 当時の珠洲郡内浦町新保に家があったというKOですが、中学校は小木中学校か松波中学校を選択できるという話をし、自分は小木中学校を選んだと話し、その小木中学校の卒業後は、すぐに小木港の遠洋漁船の仕事を始めたとも話していました。

 一方の蛸島のTSさんですが、最初は主に宇出津の城野町のHSから話を聞いたと思います。これは被告発人安田敏も同じで、どちらも私達が1年生だったときの石川県立水産高校の3年生で、同じ漁業科とも聞きました。他の同級生の家で卒業アルバムも見ています。

 蛸島のTSさんは本来学年がひとつ上で、輪島市の町野高校に入学し1年で退学してから翌年に石川県立水産高校に入学したと聞いていました。そして石川県立水産高校の卒業後は、すぐに金沢市場輸送で長距離運転手の仕事を始めたと聞いています。

 被告発人安田敏の友人にも遠洋漁船の漁師が多かったので、接点があったのかと軽く考えていたこともあったのですが、蛸島のTSさんが遠洋漁船の漁師と付き合いがあったという話は聞いていません。この辺りは竹林との関係性にも似ています。

 平成3年の1月17日に私は、金沢市場輸送で新車の日野の大型ウィング車2315号に乗務しているのですが、同じく日野の大型ウィング車で2313号か2314号に乗務したのがKOでした。

 KOは市場急配センターに移ることなく、その後もウィング車に乗務していたのか不明ですが、ほとんど顔を合わせる機会がなかったとも思います。それでも平成9年の9月には、他の誰かと二人で、一階に新しい休憩室が出来た市場急配センターに姿を見せた記憶もあります。

 よりはっきりしているのが輪島のYでした。輪島の若い運転手でYだけが鮮魚の保冷車に乗務せず、平ボディ車でミールやダンベの仕事をしていました。このYも二人で出来たばかりの市場急配センターの一階の休憩室に来ていました。

 この輪島のYではなかったかと思うのですが、一緒にいたのが被告発人安田繁克でした。現在の記憶はあいまいですが、以前には具体的ではっきりした記述をしているはずです。

 珍しい2人の組み合わせと感じたことを憶えています。ダンベというのもイワシの運搬なので、その現場で知り合い仲良くなっていたことは十分にあり得ることです。

 最近はダンベについて説明はしていないと思いますが、平ボディ車の大型車に左右で16載せるFRPの水槽のようなもので、イワシの運搬と同じように運搬船からイワシを積み込、主に三重県内の加工場に運んでいました。養殖魚の餌です。

 同じダンベの水槽を現在でも宇出津の魚市場の近くで見かけますが、使われている様子は見たことがありません。宇出津でダンベという言葉を聞いたことがなく、浜田漁業金沢工場の本社のあった蛸島港の言葉と考えられます。

 市場急配センターの一階に運転手の休憩室が出たきたのは平成9年の9月の中頃か20日頃で、一週間から10日ほどの短い期間の工事で完成していました。この工事中にあったのが、被害者安藤文さんのフイルム貼りの手伝いです。

 時刻は8月13日8時38分です。取り上げておきたいモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートがあるのですが、どこまで参考資料扱いにするのか悩ましいところです。

 2,3日前からモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインで、ミサンドリーやミサンドリストという言葉を見かけるようになったのですが、女性による男性憎悪のことらしく、本件告発事件の事実経過にも通じるところがあります。

 被告発人松平日出男が金沢市場輸送に入社し、最初に2トン車の持ち込みで市内配達をするようになったのが、被告発人大網健二と親交のあった姫のNKさんと宇出津のK村さんでした。

 私はこの姫のNKさんとグループでよく一緒に遊び行動した時期があるのですが、昭和58年の夏から秋だったと思います。昭和57年かもしれないと思ったのですが、目安となったのが珠洲市三崎町寺家の祭りに行ったことで、9月の10日過ぎになるはずです。

 1,2年前より記憶が減退しているとも感じたのですが、昭和57年は9月の7日頃に名古屋に仕事に行っているはずです。旧柳田村の石井という辺りの祭りにも行っているのですが、ずっと長い間、柳田大祭と勘違いをしていました。

 旧柳田村の中心部のようなところで、宇出津町野線という主要道が通っており、その辺りのお祭りでした。全く知らない2軒の家に入ったのですが、1軒目のとき姫のNKさんが一緒にいたという記憶です。

- キリコ祭りカレンダー- 日本遺産「灯り舞う半島 能登 〜熱狂のキリコ祭り〜」能登のキリコ祭りhttps://t.co/IrBFPbKIei


 9月15日と思っていた柳田大祭が9月16・17日となっていました。集落ごとに祭りがあるはずですが、旧柳田村は9月で秋祭りとなっているようです。蛸島、正院、寺家という珠洲市のキリコ祭りも9月となっています。

 姫のNKさんはジャパンと呼ばれた日産スカイラインに乗っており、よくその車に乗せてもらって行動したのですが、夕方のまだ薄灯りが残るような時間に、待っていた地元の女の子と車を停車した姫のNKさんが話を始めた場面だけ記憶にあります。

 当時、姫のNKさんは蛸島の女の子とと付き合っていて、数年前に名前も忘れましたが年も私と一緒だったのか一つ年下だったのか記憶がはっきりしなくなっています。よく助手席に乗っていたことも記憶にあるので、その場でも一緒にいて、寺家の女の子と友達だったとも考えられます。

 魔法に掛かったように記憶が途切れているのですが、寺家のキリコ祭りに行ったものの、着いて停車した場面で記憶が途切れているのです。まだ遠くの空に薄明かりがあったような気もするのですが、暗い風景だったとも印象にあります。

 当時は友人間の話題で耳にする知識しかなかったのですが、寺家のキリコ祭りのキリコは、能登最大、全国でキリコは能登にしかないので日本最大のキリコという話です。見ているはずだと思うのですが、見た記憶がありません。

 ちょうど海岸線の左カーブの手前に停車していたとも記憶にあるのですが、訪問を予定していた家の事情で断られ、その場でUターンして引き返した可能性があるのではと思えるぐらいですが、祭りを見るのに人の家に入る必要性はなく、一番遠いところまで来たお祭りでもありました。

 蛸島のキリコ祭りは9月10・11日となっていて昔から変わらないものと思いますが、寺家のキリコ祭りは現在9月第2土曜日となっています。宇出津のあばれ祭りも7月7・8日から7月第一金・土になりましたが、平成17年からのことです。昭和の時代に曜日で決めた祭りはなかったと思います。

 2016年あたりにバイクで蛸島のキリコ祭りを見に行ってのですが、その前に見たのは1度だけで、これも昭和58年になると思います。被告発人大網健二の兄がいたような記憶だけかすかにあるのですが、他に一緒にいた人は記憶にありません。

 蛸島のキリコは装飾が多く最も絢爛豪華なキリコともいわれるのですが、そのキリコを見たという記憶はあるものの、それより驚いたのが男の着物で、白い化粧をしていたような気もします。

 もう1つ記憶に残る祭りが、松波のキリコ祭りで、こちらもキリコを見たという印象や記憶が不思議と残っていないのですが、人形を載せた珍しいキリコは松波だけではないかと思われます。

 松波の町外れの町営住宅に人が集まっていた場面の記憶があり、そこから歩いて祭りの場所に向かったのですが、松波駅を過ぎた辺りで当時は家も少なく街灯のない暗い夜道だったという記憶ですが、被告発人浜口卓也が挨拶に来た少年をいきなり殴り飛ばしました。

 地元の少年で私より一つ年下と聞いていたように思いますが、地元の松波で一番ケンカが強いというような話で、体格の大きい少年でした。ずいぶん気を使った様子で被告発人浜口卓也に近づいたのですが、無言のままいきなり殴り飛ばしたのです。

 当時はそれほど深く考えなかったのですが、松波という地元の祭りに他所から来て、地元の少年を思いっきり殴り飛ばしたのです。親兄弟が知り激怒すれば酒の勢いもあり、大きな問題になっていた可能性もありそうです。

 同じ年になるのかはっきりしませんが、被告発人浜口卓也は、7月8日の宇出津のあばれ祭りでもあばれ祭りの神輿にちょっかいを出し、体が大きなある人に怪我をさせられ、しばらく宇出津の持木病院に入院していました。

 被告発人浜口卓也に怪我をさせたという人ですが、平成11年の1月20日頃、金沢市松村の辺りで、被告発人大網健二が名前を出して話を始め金沢で建設会社をしているような話でした。

 その話を聞く前から姿を見かけていなかったと思うのですが、以前は、同じ小棚木の町内で、家の前で姿を見かけることがあったのですが、とても体が大きいのでずいぶん目立っていました。買い物に行くときもよく通る道です。

- デイリーヤマザキ 金沢大徳店 - Google マップhttps://t.co/Jdk0PLCSJX \n 〒920-0348 石川県金沢市松村1丁目1


 デイリーヤマザキは金沢でコンビニの走りになっていたという記憶ですが、平成9年にはサークルKやファミリーマートが増え、余り見かけないようになっていたように思います。平成4年当時もデイリーヤマザキの店舗はあったように思います。

 細かく言えば、ヤマザキデイリーマートあるいはヤマザキデイリーストアとなっていたような気はします。近所や金沢中央卸売市場の近くには店舗がなかったと思うので、店に入るのは稀だったとも記憶にあります。

 Googleマップの「デイリーヤマザキ 金沢大徳店」ですが、金石街道とは反対側の辺り、その辺りに被告発人大網健二に連れて行かれた記憶があります。目的や用事は思い出せないのですが、なぜここに来たのかと疑問に思っていた記憶があります。

 1月の20日頃になるはずですが、晴天ではないものの春のような天候だったと記憶にあります。夕方に近い時間だったと思いますが昼と同じでした。このときに、その日の夜、西金沢の一水で集まるという話を被告発人大網健二にされたと思います。

 被害者安藤文さんのことですが、彼女は事件に巻き込まれた被害者だと思います。なぜ事件に巻き込まれたのかと事実を遡ると、蛸島のTSさんの松波港での自殺を避けるわけにはいきません。多額の保険金が降りたという話も聞きましたが、地元ではありません。

 もともと私こと廣野秀樹をこの世から消し去ることを目的に被害者安藤文さんが利用されたという可能性が高く、そのようなシナリオで既成事実が作られたことは、被告発人安田繁克、被告発人安田敏、被告発人多田敏明、被告発人梅野博之らの供述調書をみて明白です。

 私に命を狙われるような心当たりはないのですが、仮定になりますが、1つに生命保険が掛けられていたという可能性はあり、これを除外すると、金沢市場輸送の会社が裏で半社会的な活動をし、何かと事実を知る私の存在が不都合であったとは考えられます。

 金沢市場輸送から市場急配センターというつながりが大きいのですが、私が市場急配センターに移るのと同時に、いつも金沢市場輸送の事務所で仕事をしていた被告発人池田宏美が、毎日ずっと市場急配センターの事務所で仕事をするようになりました。

 次に被告発人安田繁克の接近があるのですが、これは被告発人安田繁克のテーマで取り上げたいと思います。

〈〈〈 2021/08/13 10:14:24 Linux Emacs: 〈〈〈

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