#日本弁護士連合会に対する事前連絡 ## 平成6年、母親から郵送で差し入れのあった「新選組事件帖」の謎

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〉〉〉 Linux Emacs: 2022/03/31 10:32:19 〉〉〉

 これまでに何度かスマホで写真撮影しネットで公開する形にしたものもあると思うのですが、自分で探してもすぐに見つかりそうではなかったので、しばらく前から手元近くに置いてある「新選組事件帖」の文庫本をスマホで撮影し、スマホからTwitterに投稿しました。リツイートします。

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- RT kk_hirono(刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中)|hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語) 日時:2022-03-31 10:36/2022/03/31 10:30 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1509343962146144256 https://twitter.com/hirono_hideki/status/1509342265445027840



> 新選組事件帖 私本閲読許可証 https://t.co/48kGENR5jJ

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- RT kk_hirono(刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中)|hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語) 日時:2022-03-31 10:37/2022/03/31 10:28 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1509343978076147715 https://twitter.com/hirono_hideki/status/1509341846329184260



> 新選組事件帖 https://t.co/us9hN2aiFg

 監獄法が改正になって受刑者の処遇も変わったようなのですが、差し入れられた私本は仮下げの願箋を出して私本交換することになります。よほど猥褻なタイトルだと許可がおりないことがあったかもしれないですが、私本購入の段階で入らないことが多かったとも考えられます。

 私本は購入と差し入れがありました。購入は月に2回で注文できるのが6冊であったと思います。6冊頼んでも1冊も入らないことがあり、1,2冊が多かったとも思います。「冤罪はこうしてつくられる」という本を私本購入したことがあり、冤罪関係の本が入手できたのが当時は珍しかったようです。

 同時に所持できるのは3冊で、それとは別に冊数外というのもあったのですが辞書や専門書で教育課長の許可が出たものになります。拘置所の場合は、土日祭日の免業日以外で、午前と午後に私本交換がありました。配湯私本交換、という世話係の受刑者の大きな声が廊下に響きました。

 拘置所は未決囚になりますが、お菓子の購入の他、UCCのカップコーヒーの購入が出来て、それにお湯を入れてもらうのが配湯になります。カップ麺も2,3種類ありました。記憶にあるのは2つで、カップヌードルのシーフードと、もちもちラーメンです。

 このもちもちラーメンも宇出津のドラグストアに売っていますが、スーパーにも売っているUCCのカップコーヒーと同じく、平成4年当時とデザインがほとんど変わっていない気がします。年に1,2回ぐらい買うことがあります。

 受刑者は既決囚になりますが、懲役刑は工場出役が原則でした。判決が確定してから工場出役までの間に、分類審査、移動、移動先での分類審査、侵入教育という過程がありました。私の場合、平成11年の安藤健次郎さんの事件では分類審査と同じ金沢刑務所での服役でした。

 初めての経験ということもあったのか、平成4年の被害者安藤文さんの傷害・準強姦被告事件のときの分類審査から福井刑務所に移送された頃のことがいろいろと記憶に残っています。3月の21日ぐらいに判決の確定で受刑者になり、拘置所から別棟の独居房に移されました。分類審査になります。

 福井刑務所に移送された日付はよく覚えていて、これは間違いないという自信があるのですが、平成6年3月17日です。北寮2階の奥から2つか3つ目ぐらいの独居房に入ったように思います。侵入教育に入ったのが3月の終わりか4月に入った頃で、第一工場と決まっていました。私を含め4人いたと思います。

 「新選組事件帖」の閲読許可証は平成6年3月25日から一月になっていました。更新もできるのですが札は1枚だけになっています。

 この3月25日というのがよくわからず思い出せないのですが、分類審査中に私本の仮下げは出来なかったようにも思えるからです。第一工場におりてから仮下げを受けたにしては、分類審査の期間が短すぎる気がします。一週間ということはなく二週間というのは少し長い気もします。

 3月17日から数えて14日だと3月30日で、これがだいたい記憶とも一致する日付になります。

 分類審査中にも私本の仮下げが出来ていたことになりそうですが、これは新聞の閲覧も同じく出来ていたのか、出来ていなかったのか記憶がはっきりせず、この期間に大きなニュースもあったと最近になって知ったのです。

 これは宇出津中央図書館にいって確認をしておきたいと考えているのですが、今月の3月に入ってまだ図書館には一度も行っていないかもしれません。確か3月2日に岡口基一裁判官の弾劾裁判の初公判があって、その新聞記事を見に行くつもりだったのですが、行きそびれていたことを憶えています。

 新選組事件帖と佐木隆三については、これまでに何度か記述をしていると思います。憶えていることは同じか薄れているぐらいです。

- 2022年03月31日11時21分の登録: H3DB_search_”佐木隆三”_(該当件数:29/データベース登録数:537,709) _2022-03-31_112139の記録 https://kk2020-09.blogspot.com/2022/03/h3dbsearch29537709-2022-03-31112139.html
- 2022年03月31日11時21分の登録: H3DB_search_”新選組事件帖”_(該当件数:2/データベース登録数:537,709) _2022-03-31_112120の記録 https://kk2020-09.blogspot.com/2022/03/h3dbsearch2537709-2022-03-31112120.html

(1/2/537709):ツイート
(@hirono_hideki)
2020-12-02 14:25:25
> 新選組事件帖 (文春文庫) | 佐木 隆三 |本 | 通販 | Amazon https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E9%81%B8%E7%B5%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E5%B8%96-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BD%90%E6%9C%A8-%E9%9A%86%E4%B8%89/dp/4167215128

 これは合っているのか、疑問に思えたのですが2020年12月2日のツイートが「新選組事件帖」の初出になっています。これはTwilogで確認をしておきます。

- 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「新選組事件帖」の検索結果 - Twilog https://t.co/fWLsLnRtQg \n 2020年12月02日(水)1 tweet

- 刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中(@kk_hirono)/「新選組事件帖」の検索結果 - Twilog https://t.co/ZuSFb8gczw \n 2021年01月02日(土)1 tweet

- 非常上告-最高検察庁御中_ツイッター(@s_hirono)/「新選組事件帖」の検索結果 - Twilog https://t.co/YylmqSSd7o \n ツイートが見つかりませんでした

 合っていたようです。「新選組事件帖」のことはずっと憶えていて、すこぶる印象的なので2020年12月2日まで記述がなかったのはとても不思議で、まるで封印でもかけられていたかのようです。

 該当も2件しかなくアカウントも別になっていますが、今書いておくのと同じ内容のことが記されています。

(2/2/537709):ツイート
(@kk_hirono)
2021-01-02 09:39:39
> ここにあったのがパソコンの雑誌と入門書です。金沢刑務所での分類審査に間に合って,そのときに読んだとも思うのが,佐木隆三の「新選組事件帖」でした。佐木隆三の本を指定し犯罪に関する本を頼んでいたのに,母親はわざわざその時代小説のような文庫本を送ってきたのです。

 「金沢刑務所での分類審査に間に合って」という部分は誤字があるようですが、要は金沢刑務所での分類審査中に読んだという述懐のようです。なぜか誤解を招きそうな言い回しになっていますが、パソコンの雑誌は判決が確定する直前に郵送の差し入れの告知があり分類審査中は仮下げが出来ずにいました。

 金沢刑務所で閲読許可証の貼り付けてあった本が、福井刑務所ではその上から閲読許可証が貼り付けてあったように思います。例外に思えるものを見たような記憶も少しあるのですが、閲読許可証の札のような紙はたっぷりと糊付けされていて、剥がすと破れそうな感じでした。

 例外というのは糊付けが薄そうな閲読許可証を見たことですが、それでも閲読許可証がはずれたり、はずれそうになっているのは見ていないと思います。

- Shoko EgawaさんはTwitterを使っています 「興味津々→ "@tuigeki: 山口一臣さん@kazu1961omi 裁判所改革にこれどう⇒日弁連は、ワースト裁判官・判決を佐木隆三、佐野眞一、江川紹子各氏などを交えた選定委員会をつくって公表すべし。https://t.co/jGd0yYgRJY"」 / Twitter https://t.co/Zl10x2Xbf8

〉〉〉 @kk_hironoのリツイート 〉〉〉
- RT kk_hirono(刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中)|amneris84(Shoko Egawa) 日時:2022-03-31 11:43/2012/02/20 12:58 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1509360829761998849 https://twitter.com/amneris84/status/171443519230197760



> 興味津々→ "@tuigeki: 山口一臣さん@kazu1961omi 裁判所改革にこれどう⇒日弁連は、ワースト裁判官・判決を佐木隆三、佐野眞一、江川紹子各氏などを交えた選定委員会をつくって公表すべし。http://t.co/IJEFjLDZ"

 上記は「(1/29/537709):リツイート」で記録されたツイートで、日付が「2012-02-20 16:50:50」になっています。これは私のリツイートの時刻です。最近のリツイートは元のツイートの時刻も記録していますが、Twilogから流用したツイートは、このように元のツイートの日時が記録にありません。

 YouTube動画で見た黄金バット誕生の瞬間のような不思議な感覚を憶えた大発見であります。考古学者が思わず大きな発見したような気分かもしれません。

 2020年2月20日とありますが、佐木隆三がまだ存命中だったのかと思われます。これまでに何度か調べている佐木隆三ですが、亡くなった年のことをあまり意識せずにいたようです。それでも10年以上は経っていそうな感覚がありました。

 山口一臣という名前を見かけたのも久しぶりですが、昨年中には一度はツイートを見かけていたように思います。初めに知ったのも10年ほど前になると思いますが、雑誌の編集長か、編集長だったというプロフィールになっていました。

- 2022年03月31日11時56分の登録: H3DB_search_”山口一臣”_(該当件数:51/データベース登録数:537,709) _2022-03-31_115635の記録 https://kk2020-09.blogspot.com/2022/03/h3dbsearch51537709-2022-03-31115635.html

(1/51/537709):ツイート
(@hirono_hideki)
2010-05-07 18:22:22

〉〉〉 @kk_hironoのリツイート 〉〉〉
- RT kk_hirono(刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中)|hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語) 日時:2022-03-31 12:01/2010/05/07 18:22 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1509365237061136384 https://twitter.com/hirono_hideki/status/13538827418



> 小沢一郎が「起訴相当」となった理由 (山口一臣の「ダメだめ編集長日記」) http://bit.ly/cKUoDx 検察審査会も告発と同じようなものだと思いますが。社会正義に反すると思えば、誰にもできる制度として。 http://bit.ly/bKDaOF #tbjp

- 小沢一郎が「起訴相当」となった理由 (山口一臣の「ダメだめ編集長日記」) https://t.co/1VRgqxGr0d

 アーカイブが2007年1月から始まり2011年2月で終わっているようです。ブログサービスに独自のドメインを割り付けることは普通にできると思いますが、URLをみると「the-journal.jp」がドメインのようです。長い間、放置されている廃墟のような空気感が漂って感じられます。

 実際に亡くなったジャーナリストがいてジャーナリストから弁護士になった人でしたが、2011年3月の東日本大震災の直後は活発にツイートをされており、亡くなったのは2年ほどあとだったように思います。末期がんで突然死ではありませんでした。1,2年ほど前にはブログを見かけていると思います。

 山口一臣氏ですが、プロフィールに「『週刊朝日』第41代編集長」とあります。拘置所でもたまに購入することがあった週刊誌であったように思います。同じ出版社かと思われますが、「アサヒ芸能」の方は「週刊大衆」と一緒に一番よく私本購入していたように思います。

- 日隅一雄 - Wikipedia https://t.co/MtbJzhxk6b 日隅 一雄(ひずみ かずお、1963年1月30日[1] - 2012年6月12日[2][3])は、日本の弁護士、元産経新聞記者。インターネット新聞「News for the People in Japan」の立ち上げの中心人物および編集長。「ヤメ蚊」を自称するマスコミ出身の弁護士である。

 ちょっと驚いたのですが、1963年1月30日生まれとあります。学年だと2つ年上ですが生まれは1年違いになります。これまで年齢のことは気にしたことがなかったのですが、ジャーナリストとして活躍していたという情報もあったので、自分より年長者だという思い込みがありました。

 亡くなったのも東日本大震災の翌年だったようです。2012年6月12日とあります。昨日は、弁護士大量懲戒請求の問題で、北周士弁護士、佐々木亮弁護士、嶋﨑量弁護士のことを調べていたのですが、三宅雪子氏のツイートを見かけることが多く、それも初めての発見のような意外性のある内容でした。

 ずいぶん精神的に不安定なところがあったという三宅雪子氏ですが、弁護士大量懲戒請求の問題で、北周士弁護士、佐々木亮弁護士、嶋﨑量弁護士らに敵対する弁護士の取材の予定が決まっているといいながら、東京湾で遺体が発見され、自殺ということで終わっているようです。

2011年5月に末期の胆囊癌で余命半年と告知されるが、その後も激痛と闘いつつ東京電力会見などで取材、執筆活動を継続。2012年1月の自由報道協会賞では、敬意を表して大賞に「日隅一雄賞」の名前が付けられた。

第一回授与式の挨拶では「チベットの高僧のように焼身自殺しようかと」と自虐的なジョークを発言し、その場にいた自由報道協会のメンバーから笑いが起こったことが後に問題視された。この発言がインターネットにおいて僧侶の自殺問題を伝え続けているチベット人に発見され、ツイッターで「日本人全員がチベットの事に関心を持たなくても良いですが、我々の事を馬鹿にしないで欲しいです」と批判された。一連の抗議に関しては、『チベットの偉大な僧侶達に比べて自分はあまりに小さい、自己犠牲を厭わぬ彼らの崇高な生き方を見習い強圧的な東電・政府への抗議をするために同じ道を選び「日隅一雄賞」に権威を与えるべきかもしれない』、という意味であったと釈明している[4]。

2012年6月12日20時28分、がん性腹膜炎のため死去[2][3]。享年49。

- 日隅一雄 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9A%85%E4%B8%80%E9%9B%84

 取り上げておこうか迷ったのですが、高僧の焼身自殺の話、平成6年まだ福井刑務所の雑居房にいるとき、昼の時間にテレビでNHKスペシャルのたぶん録画放送があって、映像の世紀ともタイトルがあったと思うのですが、まさにその場面の映像を見たことがありました。微動だにせず人形が崩れるようでした。

 同じ番組だったと思います。放送は二回に分かれていたかもしれません。チベットの高僧の抗議の焼身自殺と同じぐらい印象的だったのが、アメリカのキング牧師の映像で、身に危険が迫りながら殺害される数日前という映像であったように思います。緊迫感と強い意志を感じました。

- 佐木隆三 - Wikipedia https://t.co/7LrtEv82ll 佐木 隆三(さき りゅうぞう、本名:小先 良三〈こさき りょうぞう〉、1937年〈昭和12年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉10月31日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家で、北九州市立文学館名誉館長、九州国際大学元客員教授。

 こちらも意外だったのですが、違った意味で、亡くなった時期が記憶よりずいぶんあとです。晩年は活動されていなかったのかもしれないですが、私が2010年4月から始めたTwitterでは名前や情報をみることがなかったような気がしています。

 忘れていたのですが、「『勝ちを制するに至れり』(1985年、毎日新聞社→文春文庫)」も文庫本を私本で読んでいます。作者であることが記憶から抜け落ちていたのかもしれません。大津事件の本ですが、1年ほど前、ネットで金沢の部隊で駐留し西南戦争に従軍したときの話を読みました。

 『闇の中の光』(1993年、徳間書店)を読んだのがきっかけでしたが、金沢刑務所の拘置所で購入していた新聞の広告でした。それまでは名前も知らなかったような気がするのですが、のちになって「復習するは我にあり」の作者としりました。昭和の時代に大きな話題になっていた映画のタイトルです。

 「殺人百科」という1,2,3、それと「事件百景」といういずれも文庫本を読んだことも記憶にあるのですが、これは福井刑務所で受刑生活が始まった後になりそうです。母親の郵送であったのか、自費購入だったのかは憶えていません。

 新聞の広告で見つけた『闇の中の光』(1993年、徳間書店)がきっかけで、佐木隆三が事件のノンフィクション作家であるようなことを知り、それで母親に手紙で刑事裁判の参考になりそうな本の差し入れを頼んだところ送ってきたのが「新選組事件帖」だったのです。

 わざと無関係な本を選んで送ってきたと思ったのですが、母親の考えとは思えない選択で、3冊の別冊ジュリストの専門性の高さと同じで、背後で母親に指示を出すか母親の名義で郵送した人物がいるように思えたのです。そういう疑いは他にもあったのですが、確認の術などなく想像しか出来ませんでした。

〈〈〈 2022/03/31 13:00:21 Linux Emacs: 〈〈〈

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