#告発状\金沢地方検察庁 # 蛸島事件と宇出津あばれ祭り/深澤諭史弁護士の「ネットde真実」から考える、本件刑事告発・非常上告事件の事実関係と地域社会への危機的悪影響の不安(24)

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 ずいぶん久しぶりのWindows11パソコンの起動になります。一月ぐらい間はあるかと思いましたが、4月11日に金沢から戻ってから一度は起動していたような憶えもあります。NAVDIAのドライバの更新もありました。

% 1月21日の夜、金沢市南新保のアパートで被告発人浜口卓也が語り出した被害者安藤文さんと被告発人安田繁克の偽装工作の可能性の高い交際関係

- 1754:2022-05-11_05:52:50 #告発状\金沢地方検察庁 # 蛸島事件と宇出津あばれ祭り/深澤諭史弁護士の「ネットde真実」から考える、本件刑事告発・非常上告事件の事実関係と地域社会への危機的悪影響の不安(23) https://hirono-hideki.hatenadiary.jp/entry/2022/05/11/055247

 (23)の続きになります。「鬼のような女やな、お前、あの女の顔見て、普通の女じゃないがわからんか? きっかん顔しとるやろい。」などと一気にまくし立てた後、被告発人浜口卓也は、ひと呼吸おいて徐に、「しかし」というような言葉でつないだかもしれません。

 「しかし、いいとこあると思ったことがある。お嬢、ヤスとつきあっとったとき、毎日弁当を作ってきていた」などと言い出しました。ヤスというのは被告発人安田繁克のことを指すのですが、「つきあっとったやろ」と私が知っていることを前提にした言い回しだったかもしれません。付き合っていただろう、という意味です。

 この弁当のことは被告発人梅野博之の供述調書にも出てくるはずです。2月1日の夜、被告発人安田繁克本人は、冗談で言ったら弁当を作ってくるようになったと私に説明をしていました。

 なお、私としては被害者安藤文さんが市場急配センターで弁当を持参している姿は一度も見たことがなく、他の社員の分もあわせて弁当を買いに行ったり、被告発人池田宏美と外に外食に出るようなことがあったとも想像されますが、電話番で2人が一緒にいなくなることはなかったとも考えられます。

 私としては、被告発人安田繁克が冗談ぽく弁当の話をしたことで実際に被害者安藤文さんが自宅で弁当を作って持ってきたという事実はあったのかもしれないと考えてきました。被害者安藤文さんと被告発人安田繁克は同級生で、中学校は違いますが、共通の友達がいたらしいような話も聞いています。

 私が通った能都中学校では、他の中学校の交流というのはほとんどなく、住んでいる地区の違いが話題となっても出身中学校のことが話題になることはなかったのですが、金沢の場合は出身中学校の話題や愛着が強いという印象はありました。

 被害者安藤文さんの場合は泉中学校で「いずみちゅう」と呼ばれていたようですが、被告発人安田繁克と被告発人多田敏明は高岡中学校で「たかちゅう」と呼んでいました。

 11月中だったと思いますが、12時からの昼休みに入る少し前の時間に、たまたまだと思いますが、市場急配センターの一階に、私と被告発人安田繁克が2人だけでいました。正面に向かった壁際に椅子が並んでいたのですが、そのときは横並びになって椅子に座っていた場面の記憶があります。

 今となっては余り正確に思い出すことはできないですが、その市場急配センターの一階の運転手の休憩室というのは、出入り口が壁ではなく、一面のアルミサッシのガラス窓になっていたという記憶で、どこにでもあるようなスライドさせるドアがあって、上の方がガラスになっていたかと思います。

 マンションのベランダと部屋の仕切りに似ていたとも思うのですが、カーテンはなかったと思います。休憩室の中から外がよく見えました。

 私と被告発人安田繁克が休憩室にいたところを、被害者安藤文さんがドアを開け、これから弁当を買いに行くけどいらないかと声をかけたのです。はにかんだ様子でしたが、私がいらないと答えるとすぐに出て行きました。休憩室の中には入っていなかったかもしれないですが、奥行きが3メートルぐらいでしょうか、狭い部屋のことです。

 被害者安藤文さんが自分の考えではなく、2階で被告発人池田宏美か被告発人松平日出男の指示を受けて、私に弁当の声掛けをしたことは間違いないだろうと考えてきました。被告発人安田繁克に声をかけることはなく、ごく自然に眼中にないという感じではありました。

 考えようによってはあえて被告発人安田繁克を無視したようにも思える途中から見たドラマのような場面ではありましたが、その前にも似たようなことはあり、被害者安藤文さんが被告発人安田繁克のことを多少なりとも交際関係のあった異性として意識している様子はなかったと思います。

 私が市場急配センターで市内配達の仕事を始めた頃で、その当時も被害者安藤文さんが机に向かって仕事をする後ろの少し離れた場所に、向かい合って4人が座る応接セットがありました。

 その応接セットで私と被告発人安田繁克が長距離の仕事の話で、国道45号線の岩手県宮古市のとても急な坂などしていたのですが、被害者安藤文さんは全く気にする素振りもなく楽しそうに仕事をしていました。

 金沢市場輸送の作業日報の表の内容を前提とすると、私は6月の20日過ぎから市場急配センターで市内配達の仕事を始めた頃になります。私としては傷害・準強姦被告事件の後の早い段階から5月の20日過ぎと考えていたように思います。

 市場急配センターの給料日の締め切りが25日で翌月の5日払いとなっていました。最初、被告発人松平日出男に持ちかけられた一日1万5千円というアルバイトは3日分で終わっていたので、22日から市内配達の仕事を始めたことになりそうですが、今調べると6月は23日が日曜日になっていました。

 週休2日ではない時代です。5月だと22日が水曜日で25日が土曜日になっています。アルバイトが3日分というだけの記憶で間に日曜日があったのか記憶は定かではないですが、休みをはさまず3日連続だった気はします。日当1万5千円のアルバイトが3日で終わったので損をさせられた気分になっていました。

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 11時10分に中断となっていますが、Windows11のアップデートで再起動した直後、台所でマウスを拭いていたところ、訪問があり2人の姿があったので珠洲警察署の警察官がモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の刑事告訴のことで話を聞きに来たのかと思ったのですが、輪島からでした。

 輪島の生活保護の担当者で今回は結構長い時間で20分から30分ほどいたと思いますが、帰り際に同行の人を上司だと紹介されました。帰られたあと、しばらくしてからバイクで宇出津新港に買い物に出かけました。

 宇出津新港の前に、宇出津の仙人町になるのですが、新町通りの終わった辺りの右手に北國銀行宇出津支店があって、道路の左側で広くなった場所にバイクを止めていて、通帳の記帳を済ませて戻った辺りで、Uターンしてくる車がありました。

 バイクの後ろに車が止まって降りてきたのが先ほどの担当者で、その人が、こういう偶然もあるものだといいながら、明日の午後の再訪問で予定になっていた記帳した通帳の写真撮影をしてもらいました。

 本当に偶然だったのかわからないですが、昭和の時代の刑事ドラマで、よく張り込みというシーンをみたことを思い出しました。通帳の写真撮影をするだけなのにけっこう長く待たされていて、ガラス越しに前の店の中をのぞき込んだところで、後ろから終わったという声が掛かりました。

- こざね家具店 - Google マップ https://t.co/l7zQrVoGxk

 Googleで調べると「こざね家具店」となっていましたが、「こざね神仏具店」になっていたような記憶です。店というより作業部屋のようでしたが、宇出津小学校に通っていた頃、修繕中のような、あばれ祭りの神輿が置いてあり、ガラス窓の外からとても目立っていたことを思い出していました。

 10日か半月ほど前に北國銀行のATMの前に、今年令和4年の宇出津あばれ祭りのポスターを見かけていて、今日もそのポスターを見ていたのですが、本来ならば宇出津の町のあちこちに張ってあるそのポスターが、他のどこにも見かけていないことを考えていました。

- 〈〈〈 Windows VsCode: 2022-04-11 14:59:35 〈〈〈

≫≫≫ Windows11 Word:2022/05/11 15:21:20 ≫≫≫

 先ほどWindows11を終了していつものUbuntuの環境に戻ろうとしていたのですが、ふとMarkdownのテキストファイルをWordで開き、マクロでTwitter投稿できないかと考えました。

 Wordでは行というかワープロソフトの場合は段落になると思いますが、カーソル位置の文字数が表示されないようです。ブラウザのTweetDeckと並べてたので、投稿が成功すればすぐに確認できるとは思います。

 ステータスバーのユーザー設定というのをやったみたのですが、それらしい項目はなさそうです。

≪≪≪ Windows11 Word: 2022/05/11 15:32:38 ≪≪≪

〉〉〉 Linux Emacs: 2022/05/12 09:16:26 〉〉〉

 昨日の中断が15:32:38で、そのあとLinuxのUbuntuを立ち上げてブラウザを開いたようなタイミングで、芸能人の訃報の話題がTwitterのトレンドにあり、61歳という年齢が自分に近く意外に思っていたのですが、しばらくして自殺らしいとわかりました。

- (10) Explore / Twitter https://t.co/3cboEOgDT0

 「さらに表示」から開いて「トレンド」というタブのようなタイムラインを開いたところですが、それらしいワードが見当たらなくなっています。

〉〉〉 @kk_hironoのリツイート 〉〉〉
- RT kk_hirono(刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中)|ABEMATIMES(ABEMA TIMES) 日時:2022-05-12 09:26/2022/05/11 22:16 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1524546604472348673 https://twitter.com/ABEMATIMES/status/1524377850291179520



> “自宅前からの生中継”上島竜兵さんの訃報を伝えるテレビ番組に批判の声 夏野剛氏「死因にニュースバリューがあると思って速報したのであれば残念だ」 https://t.co/x7b0RZRoIF

 数日前もTwitterのトレンドで「渡辺裕之」という俳優の人の縊死や自殺が話題になっていましたが、5月3日とタイムラインのツイートあります。ちょうど昨日の午前中かその前の日辺りに、妻の女優が、コロナの外出制限以降、暗くなってふさぎ込んでいたという話を見かけていました。

 タイムラインのツイートに「1961年(昭和36年)1月20日生まれ」とありました。福井刑務所いた頃になりそうに思いますが、テレビのバラエティ番組でちょくちょく姿を見ていたような記憶があります。金沢刑務所ではチャンネルの自主選択がなく、バラエティはあっても少なかったと思います。

 タイムラインをみていると、自殺の死因や原因を詮索する人を大嫌いなどと、批判的に考えている人が多く、それがマスコミ報道の批判にもなっているようです。

 死因が明らかにされていない、という情報が多いようですが、数日前の渡辺裕之さんのときは、縊死という発表が先行していたようで、場所がトレーニングルームということもあり、ベンチプレスの事故と見る向きも、いくつかありました。

 被告発人安田繁克のことですが、私が市場急配センターで市内配達の仕事を始めてすぐの頃に何度か姿をみせ、個人的に話をするようになりました。金沢市場輸送の休憩室ではほとんど姿を見たことがなく、愛人の息子ということで話題になっていたこともあり、気になる存在感はあったのです。

 これまでに何度か書いてきたと思いますが、私は話を聞いた当初から長い間、被告発人安田繁克のことを、現在の市場急配センターの社長の可能性が高い堂野さんの愛人の息子だと思っていたのですが、堂野さんの愛人の息子というのは別にいて、市内配達で一緒に仕事をするようになりました。

 名前は今も憶えていますが、O君としておきましょう。平成3年の6月から8月のことですが、中学校を卒業したばかりの16歳と聞いていました。体が大きく無口で、自分から話すことはほとんどなかったと思います。仕事中もイヤホンで音楽でも聴いている様子でした。家は金沢市涌波と聞いていました。

 被告発人安田敏の住んでいた花里のすぐ近くでしたが、ほとんどが住宅地なのに広い道路沿いに暴力団事務所があることで注目され、新聞やテレビでもニュースになることがあったと思います。すでに昭成会になっていたと思いますが、前身は福島組で、福島組は七尾市が本部だと聞いていました。

 石川県内最大ともいわれていた七尾市の福島組ですが、昭和58年頃には金沢での活動が活発になった小松市の紺谷組が最大という声もありました。暴力団やヤクザは当時ずいぶん身近な存在でもありましたが、昭和58年辺りに暴走族の勧誘や、ケツ持ちと呼ばれる後ろ盾がピークになっていたと思います。

 そういえばと思い出したのですが、被告発人安田繁克も暴力団の元組員だと聞いていました。なんとか総業とか興業と具体的な組事務所の名前を聞いていたとも思うのですが、記憶がはっきりしなくなっています。紺谷組のイメージが強かったことはなんとなく憶えています。

 被告発人安田繁克は暴走族のリーダーだったとも聞いていましたが、被告発人安田繁克の話を具体的に聞くようになったのは、市場急配センターで市内配達の仕事を始めてからのことで、被告発人安田敏の口から聞かされていました。

 被告発人安田敏は当時、免許停止中だった被告発人多田敏明を助手席に同乗させて、午前と午後に2回ある金沢中央卸売市場の青果の仲買の市内配達をやっていて、「内灘・高松コース」と呼ばれていたように思います。羽咋市も含まれていたかと思います。

 郊外で混み合う場所や狭い路地もなかったはずで、一番楽な仕事とも聞いていましたが、終わるのも他の配達コースより早かったようです。

 10月の10日頃まで続いたと思うのですが、それまで市場急配センターの裏駐車場には、金沢市場輸送の使わないトラックが置きっぱなしになっていました。徐々に台数は減っていったとも思うのですが、イワシの運搬に使っていた平ボディー車が多く、そこに珍しい大きさと荷台のかたちのダンプがありました。

 その後、塗装は変わったような気もするのですが、当初は日通カラーになっていたと思います。オレンジに近い黄色です。日通のマークはなかったよう思いますが、荷台が長めで高さが低めというとても珍しく思えるダンプの大きさだったのでよく憶えています。

 その変わったダンプを見かけるようになって早かったと思いますが、被告発人安田繁克がイワシの運搬のためで購入した持ち込みのダンプだと聞きました。

 市内配達の仕事は、受取伝票をまとめて日報を作成するのも運転手の仕事で、金沢市場輸送ではずいぶん長い時間を掛けて机の上でその作業をする市内配達の運転手もいました。特に印象的だったのが津幡のYTですが、私が市内配達の仕事を始めてから荷物の多い近江町市場が受け持ちコースと聞きました。

 津幡のYTは私と同じ年で同級生になるとも聞いていました。金沢市場輸送の事務所が金沢中央卸売市場の前のテナントビルにあった頃は、姿を見かけていなかったようにもおもうのですが、金沢中央卸売市場の青果の売り場の現場ではリーダー格で、古参の運転手という感じでした。

 現在も裏駐車場とともに建物はそのまま残っている平成4年当時の市場急配センターの事務所の建物ですが、平成2年の春先ぐらいにいきなり建物が出来ていて、それまで金沢市場輸送の休憩室で日報を書いたり、雑談で時間つぶしをしていた市内配達の運転手の姿もなくなりました。

 市場急配センターの市内配達の仕事というのは、運転手ごとに仕事内容が違っていて、何をやっているのかさっぱりわからない運転手というのもいたぐらいです。貸し切りに近い大口の仕事であれば、日報も簡単に作成できたのか、そもそも日報を作成する姿を見たことがない運転手が多かったとも思います。

 被告発人安田繁克の市内配達の仕事内容というのもさっぱりわからなかったのですが、唯一、金沢市場輸送で顔を合わせたと記憶にあるのが、積雪でスリップしていた彼のトラックを代わりに運転手て出した時ぐらいです。2月ぐらいかと思われるのですが、平成2年になるのかはっきりしません。

 ただ、その時点で私は被告発人安田繁克の顔を知っていたように思うので、それより前に見ていると思うのですが、言葉を交わしたのはその時が初めてだったとも思われます。

 昭和59年当時の金沢市場輸送では、半年に1回ぐらいしか顔を合わせない運転手もいると聞いていたぐらいですが、保冷車の東北便を別にすれば、各自の仕事内容がばらばらで、滅多に顔を合わさないというのはごく普通のことではありました。

 被告発人大網健二と早くから接点があったのも被告発人安田繁克になるのですが、ずいぶん古いBMWの中古車売買で、何度か交渉があったあと最終的に不調に終わったような話も聞きました。被告発人大網健二はかなり面白くなさそうに話していました。

 今考えると、どちらが先でどちらが後であったのかよくわからなくなっていることに気がついたのですが、被告発人大網健二が怒りの感情を爆発させたのが、同じ市内配達の運転手だった笹田君との中古車売買をめぐるトラブルでした。

 これは時期がはっきり記憶にあって平成元年の12月、最初のイワシの運搬の仕事のときで、笹田君がS藤を連れて金沢港に来て、夕方遅くの真っ暗な時間になっていましたが、大型トラックの運転席の下から私に声を掛け、これもいきなり感情的になって怒りを私にぶつけてきたのです。

 他にK村さんや姫のNKさんなど相談する相手はいたはずですが、笹田君はいきなり私のところにやってきて、被告発人大網健二に対する不満や苦情をぶつけてきたのです。これも過去の記録や資料には繰り返し記述してきた事実関係なので、ここでは、おおまかに書いておきたいと思います。

 被告発人大網健二にも笹田君に負けないか、それ以上の勢いで怒りの声をぶつけられました。私が笹田くんの身内で責任の一端があるような頭ごなしの態度にも思えたのですが、被害者安藤文さんとの関係が発展した傷害・準強姦被告事件に通じる計画性があったように思えてきたのは割と最近のことです。

 4月8日の午前中にネットで予約を入れたホテルがあったのですが、9日の15時のチェックインのつもりで、午前中にバイクの駐車のことで行ったのが、金沢市内中橋のホテルでした。前日のホテルをチェックアウトした後、金沢駅西口に行って場所を調べました。

 不思議に思えたのですが、自分で予約を入れたホテルの場所を勘違いしていました。今、調べたところ、次のスマイルホテルと記憶を混同させて勘違いしていたようです。

- スマイルホテル金沢西口駅前 - Google マップ https://t.co/dpsMWNk2vx

 実際に予約を入れようとしていたホテルとも思いますが、実際に予約していたホテル名は、スマホで表示されたメールで写真撮影していました。そのホテル名で、金沢駅西口から調べ直したのですが、場所が中橋になっていて驚いたのです。

- ホテルビスタ金沢 - Google マップ https://t.co/2pKTh7kael \n 〒920-0031 石川県金沢市広岡2丁目13−27

 上記のホテルビスタ金沢が、4月8日、一日目の宿泊先となり、チェックインしたのは夕方の遅い時間になっていました。そのあと、市場急配センターもある金沢中央卸売市場の周辺をスマホで撮影しながら歩いてきました。

 なお、金沢駅西口から金沢港まで一直線に通じる広い道路は、Googleマップに「けやき大通り」となっていますが、平成4年当時は「50メートル道路」と呼ばれ、国道8号線バイパスが突き当たりになっていて、その先は道路がなく、ほとんどが水田になっていたという記憶です。今は石川県庁もあります。

- ホテルリブマックス金沢駅前 - Google マップ https://t.co/g5L2czhlqM \n 〒920-0035 石川県金沢市中橋町7−12

 4月9日と10日の宿泊先となったのがホテルリブマックス金沢駅前ですが、9日の午前中にフロントで予約の確認をすると10日になっていました。女の人と予約について色々と話をしたのですが、10日の予約を取り消して、別のプランで9日と10日の予約を入れることが出来ました。

 住所が金沢市中橋町と町がついているのが意外に感じたのですが、金石街道と駅西の広い道路が交差する「中橋」の交差点があり、そのすぐ近くには金沢駅前から来る六枚の交差点との間に、北陸本線の陸橋がありました。

 その中橋の陸橋が跡形もなく姿を消していたのも驚いたのですが、陸橋の下は古い商店街になっていた記憶があり、なぜか、被告発人大網健二と笹田君のトラブルでは、その商店街の風景を決まって思い出すのです。

 実際に、中橋に商店街があったのかわからないのですが、他に金沢市内で該当するような場所はなく、昼にたまたまその商店街で被告発人大網健二と顔を合わせ、そのときに笹田君に対する恨みの声を聞いたとも思うのです。

 笹田君も私に、市内配達中に後ろを被告発人大網健二に追跡されたとか、恐怖映画の体験をしたように私に訴えかけていました。笹田君が演技をしていたとは考えづらいのですが、まるで映画のロケに遭遇していた場面のように記憶に残っています。

 笹田君といつも一緒にいたのが峰田君になります。この2人も金沢市場輸送の事務所が金沢中央卸売市場前のテナントビルにあった頃は、姿を見た覚えがないのですが、その前に市内配達の部屋が別に出来ていましたので、顔を合わせていなかったとしても不思議はありません。

 高田という人物が金沢市場輸送の市内配達の責任者のような立場でいる頃は、市内配達も金沢市場輸送の長距離と同じ事務所だったと思います。昭和62年の9月頃はまだその状況にあったように思います。

 名前は忘れましたが市内配達に18歳か19歳の鶴来の若者がいて、その夏に4人で内灘に海水浴に行ったことがありました。無口で直接話をした記憶も残っていないのですが、とても印象的だったのは、彼が市内配達から戻ったタイミングで、高田という人物がいきなり、父親が亡くなったと伝えたことでした。

 ある日、右翼団体の若者が数人、金沢市場輸送の事務所に入ってきて、その高田という人物を探していると言い出したのですが、そのしばらく前に失踪したと聞いていました。余り具体的ではなかったように思いますが、会社の金を持ち逃げしたとか、竹沢俊寿社長が激怒しているとも聞きました。

 多少のクセのようなものは感じましたが、学校の先生のような真面目そうな人物でした。後の被告発人松平日出男と同じような立場でしたが、金沢中央卸売市場の青果物の売り場にいることが多く、竹箒でせっせと掃除する姿というのもよく見かけていました。

 この高田という人物がいなくなってから、なんと呼ばれていたのか正確には記憶にないですが、市内配達の最高責任者が被告発人松平日出男が来るまで不在となり、代表というような言葉もあったように思いますが、いずれにせよ被告発人梅野博之が代行になっているような話は聞いていました。

 金沢市場輸送の事務所が平屋の新社屋に移転したのは昭和63年の7月に入ってすぐの頃として記憶にあります。それまでの金沢中央卸売市場の前のテナントビルの事務所の住所は金沢市西念町リの、番号が思い出せないですが、リの10だったかもしれません。

- 刑事告発・非常上告\金沢地方検察庁御中(@hirono_hideki)/「西念町リ」の検索結果 - Twilog https://t.co/CLyC4wITBm

〉〉〉 @kk_hironoのリツイート 〉〉〉
- RT kk_hirono(刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中)|hirono_hideki(刑事告発・非常上告\金沢地方検察庁御中) 日時:2022-05-12 13:07/2016/04/08 18:23 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1524602254573342720 https://twitter.com/hirono_hideki/status/718368778829053953



> 金沢の中央市場のラーメン店で火事というニュース。金沢市場輸送の事務所があったビルのようだった。当時の住所は金沢市西念町リの1と記憶。

- 刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中(@kk_hirono)/「西念町リ」の検索結果 - Twilog https://t.co/LJQNHwfYsJ

 時刻は13時40分です。さきほど台所で洗い物をしながらふと気がついたのですが、私が被告発人安田繁克を堂野さんの愛人の息子と勘違いしていたということは、その前に堂野さんがイワシの運搬の仕事を始めていたことになります。

 金沢港のイワシの運搬は1月、2月が中心で、堂野さんが持ち込みのダンプで運搬を始めたのはピークを過ぎた頃で2月に入り、春先の小春日和の天候の中で姿を見ていたという記憶があり、吹雪や積雪の中であの目立つ色のダンプを見ていたという記憶はありません。ワインレッドのような色です。

 土砂積み禁止になっていたとも思いますが、大型車なのに小型に見えるダンプでした。三菱ふそうの旧型で、ワインレッドの色がボディを小さく見せていたのだと思いますが、少年時代にラッカースプレーで塗ったバイクのタンクのような塗装でした。

 土砂積み禁止は木材チップを運ぶあおりの大きなダンプが多く、金沢市場輸送の2台のダンプもそれに近かったのですが、それに比べるとずいぶん小型に見えたダンプで、あおりも低かったと思います。あおりというのは荷台の高さとほぼ同じ意味です。平ボディ車だとバッタリとも呼んでいました。

 4月になるとたまにしかイワシの水揚げがなく、金沢市場輸送では2台のダンプだけが待機になると聞いていましたが、平成2年は2月いっぱいで平ボディ車がイワシの運搬の仕事をやめていたように思います。私もすぐに108号という冷凍機付きの大型保冷車に乗務し、長距離の仕事を始めたように思います。

 被告発人安田繁克の入社は秋に、それも9月頃に話題になったのを夕方の遅い時間に金沢市場輸送の休憩室の入口付近で聞いたという覚えがあり、一緒に話題になったのが、山田さんの娘の婚約者という西口君でした。

 西口君は前例のない形での参入で、いきなり4トン保冷車の新車の持ち込みで、それも日野自動車の新型車でした。日野レンジャーという車種だったと思います。前に調べたことがあるのですが、発売時期の特定が出来たと思います。

- 日野・レンジャー - Wikipedia https://t.co/I4XMraSMe4 1989年7月登場。通称クルージングレンジャー。コマーシャルにはアメリカの女優ダイアン・レインが出演した。エンジンは平成元年排出ガス規制適合のH07Dを搭載。

 1989年7月というのは平成元年7月ですが、前にこの情報を読んだときに西口君と一緒になった被告発人安田繁克の入社も平成元年の秋と勘違いしたのかもしれません。

 長距離の仕事をしていたのであちこちで日野レンジャーの新型車は見かけていたのですが、見かけるようになってから早い時期に西口君の乗務する新車を見かけるようになったという考えもあったのです。なお、同じ日野の大型車は、平成3年10月もフロントグリルが変わったマイナーチェンジのままでした。

 宇出津と同じ能都町だった瑞穂の出身と聞き、他に瑞穂の出身と聞いていた関係者KYNの妻に尋ねたことがあったと思うのですが、知っているとは聞かなかったように思います。西口君は私との会話で、金沢の尾山台高校の出身とも聞いていました。

 平成9年以降に被告発人安田敏から直接聞いた話では、その後、山田さんと一緒に金沢の木越の辺りで運送会社を始め、そのあと西口君は事故を起こして片足を根元から切断したと被告発人安田敏は話していました。自分も一時、その会社で運転手をしていたような話しぶりだったかもしれません。

 平成3年の9月の20日頃に市場急配センターの一階の休憩室が完成しました。まもなく西口君もできたばかりの休憩室を見に来たと思うのですが、被告発人安田繁克と二人一緒に来たかもしれません。被告発人安田繁克は輪島の大型平ボディ車の運転手と二人一緒に来たような記憶もあります。

 今しばらくしてそれらしい名前を思い出したのですが、金沢市場輸送の輪島の運転手で、大型平ボディ車に乗務した若者は一人だけでした。もう一人海士町に婿に入ったという40代の人がいましたが、私の妻の母親の弟で妻のおじさんになる人でした。名前がすぐに思い出せなくなっています。

 顔や声はけっこう記憶に残っていますが、その人もしょっちゅうではなかったと思いますが、金沢市場輸送の麻雀のメンバーになっていたかもしれません。姿を見かけなくなっていったと思うのですが、群馬県の伊勢崎市の辺りの国道で夜中に大きな超過のスピード違反で捕まったという話をしていました。

 名前を思い出したのですが、輪島の海士町の家に婿養子に入ったと聞きながら、妻から聞いていた母親の旧姓と同じ名前だったことを思い出しました。今考えるとどこに住んでいるのか聞いていなかったかもしれません。金沢にアパートを借りているような話はなかったように思います。

 金沢市場輸送の大型平ボディ車は、ミールとダンベの仕事を中心にしていました。ダンベは16個ほどの水槽を荷台に乗せ、イワシの運搬と同じように水揚げしたイワシを乗せて、主に三重県内に養殖魚の餌の原料として運ぶ仕事でした。私もけっこう回数その仕事をやっています。

 宇出津の魚市場や氷会社には現在も同じような魚を入れる水槽が置いてあるのですが、宇出津でダンベという呼び方を聞いたことはなく、蛸島特有の言葉であったとも考えられます。

- 魚市場に欠かせない「ダンベ」|JSフードシステム水産事業部 - 小田原箱根 美味さんぽ 〜小田原・箱根グルメブログ〜 https://t.co/82tAWAgimU

 金沢市場輸送の平ボディ車で使っていたのはもっと丈夫そうな水槽で、船の底と同じような素材になっていました。他に聞いたことはなかったので珍しい言葉だと思っていたのですが、小田原市の魚市場とあるので、全国的に使われている言葉の可能性がありそうです。

 被告発人安田繁克のダンプですが、平成3年の秋以降見かけることはなかったように思います。イワシの運搬の仕事をしているらしいことは聞いていて、2月1日の夜に会った時は、黒色の暴走族の特攻服のように見える作業服の上下で、左腕の上の方に、上から下にけっこう大きな文字で「松浦商店」とありました。

 確か「松浦商店」だったと思うのですが、松浦という名前があったことは確かです。プリントではなく刺繍になっていたと思うのですが、平成4年2月で刺繍というのは他に見かけることがなかったとも思えるので、定かではありません。

 3月の中頃、3月14日の土曜日とも思われる日には、被告発人安田繁克の車らしいものを市場急配センターの洗車機の横あたりで見かけたのですが、会社の中で彼の姿を見かけることはありませんでした。2月1日の深夜以降には会っていないように思われます。未明の2時か3時頃まで一緒にいました。

 11月から2月1日というのも空白があったような記憶です。被害者安藤文さんが私に弁当の話をしに来たときのことですが、たぶんそのときになりますが、被告発人安田繁克は顔が腫れていて、目の白目の部分が内出血を起こしたような痣になっていました。片町で集団の暴行を受けたと彼は話していました。

 数人同士でトラブルになったところ、仲間が逃げ出して一人だけ集中的に暴行を受けたという話でした。11月中でも前半になりそうに思います。

 目の周りが腫れていたように思うのですが、頬の辺りは殴られたような痕跡がなく、酔っぱらい同士のケンカで集団で暴行を受けたにしては、ちょっと違うような気もしていました。他に体のどこかを痛がるような素振りもなく、全く普通に体を動かしていたとも思います。

 平成3年の11月で、殴られて大怪我をしたような特殊メイクが出来たのかも気になるところで、当時は演技をしているとも思わなかったのですが、最近の怪我のようであったのに、余り痛そうには見えず、今考えると本当なら病院に行って眼帯をするなり、ガーゼが貼り付けてあるのが当然のような怪我でした。

 あるいは日が経ってガーゼや包帯もとれて落ち着いた頃の怪我の状態だったのかもしれませんが、被告発人安田繁克のことを疑う理由も必要もなかったので、深く考えてたり、まじまじと怪我の状態を観察することもなかったとは思います。

 金沢市場輸送を辞めると決めた時、竹沢俊寿会長と会長室で直接話して決めたと思うのですが、大型免許の取得に大徳自動車学校に通いながら市場急配センターで市内配達をしていた被告発人安田敏に連絡するため市場急配センターに電話をしました。

 電話で被害者安藤文さんの声を聞いたのもその時が初めてだったかも知れません。安田という名前を出して取次か連絡を取る方法を頼んだのですが、「どちらの安田ですか?」と尋ねられたときは驚きもありながら、年輩の他の運転手に安田という名前の人がいることを考えました。

 当時、被告発人安田敏は髭を伸ばしていたので、髭の話をしたところすぐに通じた様子でしたが、そのあとのことは記憶に残っておらず、直接、市場急配センターの事務所に行ったところで、被告発人松平日出男と話をしたように思います。そこで出たのが当面の日当1万5千円のアルバイトの話でした。

〈〈〈 2022/05/12 16:54:37 Linux Emacs: 〈〈〈

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