#さらば弁護士鉄道066/令和5年8月の告発状・真夏の敬礼編 ### 能登町役場で見た北陸中日新聞の社会1面、マルタという大きな見出しの731部隊のトップ記事

〉〉〉 MacBook Emacs: 2023/08/21 18:13:25 〉〉〉

 宇出津新港のアルプにいますが、クーラーの効いた場所は、久しぶりに感じます。家にいて我慢の出来ない暑さではないのですが、夜中も早朝も気温が下がらず、長い時間、暑い場所にいると疲れを感じます。

 そのまま宇出津新港に向かうつもりでしたが、レンタルサーバーの支払いを済ませておこうと思い、コンビニに行くことにして、そのついでに能登町役場に立ち寄って新聞を読んだことになります。

 大きな記事のすべてに目を通し読みましたが、短時間で読めたように思います。読みやすさもあったのかと思いますが、記事の分量が多くても、割合短時間で読み終えるものとも思いました。滋賀県在住の93歳男性ということで実名はなかったですが、少年兵で、マルタの食事の世話などした他は、伝聞として人体実験の話などを聞いていたようです。

 北陸中日新聞は、森村誠一氏の本のことも記事の終わりの方で紹介していました。確かな資料のように伝わる書き方でした。

 そういえば、今日の午前中、記事のツイートの直後に鴨志田裕美弁護士のツイートが出てきて、自分のインタビューが記事になるような話で、東京新聞では24日の記事になると書いていたように思います。なぜ同じ日の記事ではないのか、不思議に思えていたのでよく覚えています。

 もう一つ今日の北陸中日新聞の新聞の731部隊の記事で気になったのは、「旧制第四高等学校(後継校・金沢大)」としていたことです。「15歳 日常にマルタの死」という大きな見出しになっていました。今は、この見出しだけを見てもわからない人が多そうですが、能登町役場内の明るさの強い陽ざしの中で、それが異様にも感じられました。

 戦後78年ともありましたが、当時15歳の関係者が93歳ということは、ほとんどの人が生存していないことになりそうです。それも終戦の年、昭和20年の配属とありました。今回は、滋賀医科大学の名誉教授の名前がなかったですが、この人物の研究が、最近になって新聞による大きな報道に繋がっているようです。

 体験談として、確か西洋人男性、のマルタが、自分の指を噛み切り、値で壁に自分のこれまでを書き記したとありました。これも印象的な部分でした。

〈〈〈 2023/08/21 18:40:27 MacBook Emacs: 〈〈〈
〉〉〉 Linux Emacs: 2023/08/21 19:39:14 〉〉〉

– 能登町役場で見た北陸中日新聞の社会1面、マルタという大きな見出しの731部隊のトップ記事(資料編)|市場急配センターの金沢弁護士会事件\金沢地方検察庁御中 https://note.com/hirono2020kk/n/n880c94f7c52f

 写真を6枚、資料としてnoteの記事にしました。

戦争関連書籍を収集する佐藤公男代表(73)=石川県加賀市=が運営する「平和工房・江沼の郷(さと)」が、冊子「歴史写真が伝えたこと 伝えなかったこと」を発刊した。戦前、戦中に出版された雑誌の掲載内容を振り返り、戦争へと向かっていく当時の世相を浮かび上がらせている。佐藤さんは「当時の雑誌が何を伝え、何をあえて伝えなかったのかを知ることで、戦争の悲劇を考えるきっかけになれば」と話す。(小川祥)
 取り上げたのは、一九一三(大正二)年から出版された月刊グラフ誌「歴史写真」。初めは芸能やスポーツなど民衆の娯楽を伝える大衆雑誌で、表紙は美人画が飾っていた。満州事変が起きた三一年から、軍艦や戦場で戦う兵士など戦意高揚の場面が表紙を占めていくようになる。
 冊子では、関東大震災が起きた二三年から廃刊になる四三年までの二百四十五冊の表紙や掲載内容の変遷をたどりながら、雑誌が「伝えたこと」に焦点を当てた。中国大陸や朝鮮半島などで戦う兵士らの写真をまとめた「戦場(いくさば)」、銃後の日本国内の政治の動きや庶民の生活を写した写真からなる「神国(かみのくに)」の二つをテーマに据え、戦前、戦中の日本の姿をあぶり出している。
 一方、日本の植民地とされたアジア諸国の惨状や戦地で餓死した兵士らの様子など戦争によってもたらされた悲劇は、掲載されていない「伝えなかったこと」としてコラムにまとめた。

– 【戦後78年】戦争 何を伝え、何を伏せた 戦前・戦中の雑誌 まとめ:北陸中日新聞Web https://www.chunichi.co.jp/article/752316?rct=k_news

 長めの引用転載になりましたが、全文ではないです。2023年8月20日 05時05分 (8月20日 10時37分更新)とあります。

 「問い合わせは、平和工房・江沼の郷=電0761(74)6771=へ。」と締めくくりになるので、山中温泉の近くのようです。現在は加賀市ですが、一昔前は、石川県江沼郡の山中温泉でした。

 この山中温泉の近くが、歴史的に有名な軍人の出身地となっており、最近は名前を見かけていないですが、辻政信という人物で、戦後は政治家をしていましたが、東南アジアで謎の失踪となり、行方しれずとされています。満蒙のノモンハン事件でも名前の出る軍人です。

– 【つなぐ 戦後78年】(7)南方従軍 写した200枚:北陸中日新聞Web https://www.chunichi.co.jp/article/751791?rct=k_news

 2023年8月19日 05時05分 (8月19日 11時20分更新)となっています。

– つなぐ 戦後78年:北陸中日新聞Web https://www.chunichi.co.jp/hokuriku/k_sengo78

 先程まで気が付かずにいましたが、連載のシリーズとなっているようです。

金沢大日本史学研究室の学生たちは、戦争体験者らから聞き取った証言を冊子「かたりべ」にまとめる取り組みを続けてきた。研究室の能川泰治教授(56)=日本近現代史=が二〇〇七年から指導する活動で、今年三月に十作目を刊行した。「若者でも果たすべき責任はある」。学生とともに十六年活動してきた能川教授は今も託された声を「自分事」として受け止めて未来につなぐ意義を訴え続けている。
 〇一年に金大に着任以降、地域に根差した戦争継承の形を模索していた。聞き取りをした当事者は三十人近くに及び、シベリアでの強制労働経験者や日中戦争に出征した元兵士ら、当事者やその子どもから聞き取りをした。報道番組に出演していた石川県内出身の当事者の連絡先を独自に調べたり、近所のクリーニング店の高齢女性に頼んで紹介してもらったりして、体験者らを探してきた。

– 【つなぐ 戦後78年】(4)「証言集め」は若者の責任 金沢大史学研究室 活動16年:北陸中日新聞Web https://www.chunichi.co.jp/article/749086?rct=k_sengo78

 この記事は、2023年8月15日 05時05分 (8月15日 17時42分更新)となっています。当日の8月15日は図書館にいて、そのあと家に戻ってから墓参りに行きました。「金沢大史学研究室」というのがすこぶる印象的ですが、当日に北陸中日新聞で記事を読んでいたのか、いまいち記憶がはっきりしません。見ていたような「金沢大史学研究室」ではあります。

– 15歳 日常のマルタの死 – Google 検索 https://www.google.co.jp/search?q=15%E6%AD%B3%E3%80%80%E6%97%A5%E5%B8%B8%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%81%AE%E6%AD%BB&sca_esv=558732412&sxsrf=AB5stBgD8gHpRos_smyldguycNMYoxLezA%3A1692615255172&source=hp&ei=V0LjZLmBCOng2roPvfe–A0&iflsig=AD69kcEAAAAAZONQZyDZRpbYD4Su-V0rgxWkPQFf4qIl&ved=0ahUKEwj5iJiYy-2AAxVpsFYBHb27D98Q4dUDCAs&uact=5&oq=15%E6%AD%B3%E3%80%80%E6%97%A5%E5%B8%B8%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%81%AE%E6%AD%BB&gs_lp=Egdnd3Mtd2l6IiAxNeats-OAgOaXpeW4uOOBruODnuODq-OCv-OBruatuzIFEAAYogQyBRAAGKIEMggQABiJBRiiBEjuogFQqBJYlpwBcAN4AJABAJgBgwGgAc0eqgEFMTAuMje4AQPIAQD4AQGoAgrCAgcQIxjqAhgnwgIHECMYigUYJ8ICBRAAGIAEwgILEAAYgAQYsQMYgwHCAgsQABiKBRixAxiDAcICCBAAGIAEGLEDwgIHEAAYigUYQ8ICDRAAGAQYgAQYsQMYgwHCAgoQABgEGIAEGLEDwgIHEAAYBBiABMICBhAAGAMYBMICCBAAGAgYBBgewgIFECEYoAE&sclient=gws-wiz

 検索結果に中日新聞の記事が見当たりません。

「15歳 日常のマルタの死」に一致するニュースは見つかりませんでした。

検索のヒント:

キーワードに誤字・脱字がないか確認します。
別のキーワードを試してみます。
もっと一般的なキーワードに変えてみます。
キーワードの数を減らしてみます。

– 15歳 日常のマルタの死 – Google 検索 https://www.google.co.jp/search?sca_esv=558732412&sxsrf=AB5stBixufyrvzhhIEPLG2BHR1VDsTY0VQ:1692615278402&q=15%E6%AD%B3%E3%80%80%E6%97%A5%E5%B8%B8%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%81%AE%E6%AD%BB&tbm=nws&source=lnms&sa=X&ved=2ahUKEwiw7KOjy-2AAxU1qFYBHbzZBKgQ0pQJegQIDBAB&biw=1565&bih=1201&dpr=0.75

 Googleのニュース検索の結果です。

– 731部隊の元少年兵が激白…「残虐な人体実験が我々の日常だった」(現代ビジネス編集部) | 現代ビジネス | 講談社(2/4) https://gendai.media/articles/-/74905?page=2

 検索結果に出たのは2ページ目で、4ページある様子です。

「任務が終わった夜に同期の友人と会うと、お互いの業務内容を話していました。『今日は人体解剖をした』『軍用犬に細菌兵器を運ばせる訓練をしている』なんて人もいましたね。まだ10代でしたけど、当然施設内で生物兵器を作っていることも知ってましたよ」

たった14歳で731部隊に入隊した元少年兵の須永鬼久太氏(92)はこう語る。

関東軍防疫給水部本部、通称「731部隊」。満州のハルビン市近郊に拠点を構え、表向きには兵士の感染症予防や安全な給水システムに関する研究を行っていた。しかし秘密裏に非人道的な人体実験を繰り返し、実戦での使用を目指して生物兵器を開発していたとされる。

– 731部隊の元少年兵が激白…「残虐な人体実験が我々の日常だった」(現代ビジネス編集部) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) https://gendai.media/articles/-/74905?imp=0

 上記の引用は1ページ目ですが、これも2020年8月15日の記事になっています。実名になっていますが、姓も名前もずいぶんと珍しい名前です。

731部隊の任務の一つが、敵兵を重篤な伝染病に感染させる「細菌爆弾」を製造することだった。部隊内で開発されていた「ペスト菌爆弾」は、病原菌を媒介するノミを爆発によってばら撒き、相手をペストに感染させる。長野県の高等小学校を卒業して731部隊へと入隊し、1年間の教育期間を終えた須永は、1943年頃からそのプロジェクト内の「焼成班」に所属していた。

「私の仕事は、ペスト菌爆弾の容器を焼き上げることでした。少量の火薬でペスト爆弾が爆発した後、粉々に飛び散って中身の細菌が生きたままばら撒かれるように、陶器製の容器が使用されていました。細菌兵器を作っていることについても説明を受けていましたよ」

– 731部隊の元少年兵が激白…「残虐な人体実験が我々の日常だった」(現代ビジネス編集部) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) https://gendai.media/articles/-/74905?imp=0

 今日の朝だったように思いますが、Twitterのトレンドにペスト病の話題がありました。昼から午後は見かけていないです。

その後、須永らは朝鮮を経て日本へと戻った。帰国直後に感じた恐怖について、こう振り返っている。

「なんとか内地に戻ったものの、我々の部隊に所属していた者は『そのうちGHQに捕まって殺されるんじゃないか』という不安が強かったですね。731部隊で非人道的な人体実験を繰り返し、細菌爆弾を開発していたわけですから。でもそのうち、石井四郎部隊長が、実験データと引き換えに隊員を免責するようアメリカと取引したと聞いて、安心しました。率直に、うまくやってくれたなと思いましたね」

– 731部隊の元少年兵が激白…「残虐な人体実験が我々の日常だった」(現代ビジネス編集部) | 現代ビジネス | 講談社(4/4) https://gendai.media/articles/-/74905?page=4

戦後しばらく沈黙を貫いた須永は、「部隊内で見聞きしたことは話してはならぬと徹底的に教育されていたから、終戦後も731部隊のことは家族にすら話さなかった」と語る。しかし7~8年前から取材に応じるようになった。

「731部隊のことが報道でこれだけ世に知られたので、『もう全てオープンにしてしまったほうがいいだろう』と生きている隊員たちで話し合い、数年前からメディアに出るようになったのです。非人道的な実験によって細菌兵器を研究していたのですから、今考えれば間違ったことだったと思いますよ。でも、当時はそれが当たり前でした」

軍上層部からの教育や環境への適応の結果、彼ら少年兵にとって、非人道的な人体実験は「美味しい水餃子」と同じ「日常生活」となった。異常な環境も戦時には「日常」となりうる。戦後75年を迎えてもなお、われわれは須永の証言から引き出されたこの事実を、見つめ続けなければならない。

– 731部隊の元少年兵が激白…「残虐な人体実験が我々の日常だった」(現代ビジネス編集部) | 現代ビジネス | 講談社(4/4) https://gendai.media/articles/-/74905?page=4

 92歳になってからの証言に疑問を感じましたが、続けて上記の引用部分がありました。この現代ビジネスは紅白の垂れ幕のようなWebサイトのデザインが特徴的ですが、検察批判に関して、凄まじくデタラメとも思える記事を掲載していたという印象が強烈にあります。

 明日になれば違うのかもしれませんが、ネットの検索で「15歳 日常のマルタの死」という記事は影も形も見つからず、能登町役場で見た白日夢のようですが、スマホで撮影が出来てよかったです。

〈〈〈 2023/08/21 20:11:22 Linux Emacs: 〈〈〈
〉〉〉 Linux Emacs: 2023/08/21 20:17:20 〉〉〉

 確認のつもりでTwilogで調べたところ、今日の午前中ではなく、昨日になっていました。ペストの検索で2023年8月20日に2つのリツイートがあります。リツイートの時刻は7時48分53秒と10時36分43秒で、時間の離れているのが気になりますが、それだけ長く、Twitterのトレンドにあったのかもしれません。昼には見かけなくなっていたと思います。

– 刑事告発・非常上告\金沢地方検察庁御中(@hirono_hideki)/「ペスト」の検索結果 – Twilog https://twilog.togetter.com/hirono_hideki/search?word=%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88&ao=a

14世紀に欧州で少なくとも数千万人の人々を死亡させたペストが最近、中国とモンゴルで再び発生した。

 ロイター通信や新華社通信などによると、今月7日(現地時間)、中国北部のモンゴル自治区内でペスト患者が発生したとのことだ。その五日後の12日には同居する家族2人について追加で感染が確認された。この2人は最初の感染者の夫と娘であることが分かった。

 中国保健当局では「濃厚接触者は隔離・規制された。その後は異常が発生していない」と述べた。

– 「最悪の伝染病」ペスト、中国とモンゴルで再び発生-Chosun online 朝鮮日報 https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/08/19/2023081980002.html

 リツイートのツイートにあるリンクを開きました。「記事入力 : 2023/08/19 09:27」とあります。朝鮮日報とあるので、昨日は見た覚えがなく、リンクは開いていなかったようです。

 次は、もう一つのリツイートのツイートにあるリンクの記事です。黒く大きな嘴の仮面の画像は、昨日にも見た覚えがありますが、記事を少し読むと、初めて知ることが書いてありました。「3人は全員、野生のげっ歯動物「マーモット」の肉を食べたとのこと」という部分です。

 その先に、「モンゴルはマーモットの捕獲を厳しく禁止しているが、多くのモンゴル人がマーモットを違法に捕獲して食しているという」とありますが、似たような話は、2,3年か前にも見ていたように思います。

〈〈〈 2023/08/21 20:26:29 Linux Emacs: 〈〈〈

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