#告発状\金沢地方検察庁 *** 金沢地方検察庁吉田克久検事正に伝えたいこと(009):コロナ禍の宇出津あばれ祭りと珠洲市飯田の燈籠山祭り、北國新聞と金沢地方検察庁検事正(03)

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% 珠洲市三崎町のFNさんの名刺、被告発人大網健二との平成4年当時の関係/平成3年12月から平成4年12月まで金沢地方検察庁の検事正だった山田一夫という人物

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〈〈〈 2022/07/21 15:30:27 Linux Emacs: 〈〈〈

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 図書館を出た後に撮影した写真がなかったですが、18時の閉館時間の近くまでいました。傘を持ち歩いて向かったのですが閲覧を初めたのは16時過ぎになりそうです。北國新聞縮小版の平成4年10月号から平成5年7月号まで、そのあと平成4年9月号を調べました。

 「県内(社会)」、「県内(犯罪)」、「県内(裁判)」という索引の項目を調べたのですが、被告発人木梨松嗣弁護士と司法修習生の記事は見出しが見つかりませんでした。大きな期待はずれでしたが、記事を調べだす困難さと使う時間の大きさを改めて痛感しました。

 ただ、今回、被告発人木梨松嗣弁護士と司法修習生の記事が容易に見つからなかったことで探す範囲を広げ、別の発見があったことは収穫でした。金沢地方検察庁の検事正の記事で、就任ではなく退任という他には一度も見たことのないとても珍しい記事でした。

 見出しは「金沢地検 山田検事正が勇退 後任に神出氏(大阪地検次席検事)内定」という平成4年12月2日の北國新聞朝刊の記事になります。テレビ欄をめくった右側ですが、左側のトップに記憶に残る大きなニュースがありました。金沢刑務所の拘置所で同じ記事を読んでいた可能性が高いです。

去る5月22日、映画監督の伊丹十三氏が自宅前で暴漢に襲われ、重傷を負うという事件が発生した。

伊丹氏は、民事介入暴力の横行に警鐘をならし、その効果的な対策を一般に普及するための映画『ミンボーの女』を制作したことで知られている。伊丹氏を襲った暴挙がこの映画の制作及びこれに関連した同氏の発言に起因するものとすれば、民事介入暴力の排除に立ちあがっているわれわれ弁護士会及び暴力追放運動を推進する各地の住民組織に対する許しがたい挑戦であるといわなければならない。

- 日本弁護士連合会:伊丹十三氏に対する暴力事件について https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/1992/1992_7.html

 「伊丹監督 襲撃」というGoogleの検索のトップに上記の日弁連の声明が出てきました。平成4年5月25日付ですが、事件の発生は5月22日となっています。

 北國新聞平成4年12月2日の記事は見出しが、「伊丹監督襲撃事件 山口組系後藤組組員の犯行 警視庁 数人に逮捕状 行方追う 「ミンボーの女」に反発?」とあります。

 当時は週刊誌でもこの伊丹監督襲撃事件の記事をいくつも読んでいたはずですが、「ミンボー」の意味が図書館ではわからず、日弁連の声明で「民事暴力」だと理解したのですが、この民事暴力の意味がよくわからないというか当時の報道のされかたも思い出せません。

 「民事暴力介入」という言葉はわりあい記憶に残っていたような気がします。日弁連の声明では「民事介入暴力」となっています。民事不介入という警察の対応が当時はよく週刊誌にあったと記憶します。

- 民事介入暴力(暴力団等被害)|民事介入暴力|法律相談一覧|弁護士に相談する|東京弁護士会 https://t.co/mQHh2Or3cv

 平成15年から17年頃の間と思いますが、被告発人若杉幸平弁護士がこの民事介入暴力対策の代表者あるいは委員長であるチラシを、金沢東インターの近くのガソリンスタンドで見た記憶があります。

 勇退という記事の金沢地方検察庁検事正ですが、山田一夫検事正で、「平成3年12月に高知地検検事正から現職に着任し、石川県能都町の姫漁協を舞台にした多額横領事件など」とあります。私の傷害・準強姦被告事件の起訴から一審の判決、控訴審の途中まで決裁官であった人物の特定、発見になります。

 北國新聞縮小版の平成4年9月号から平成5年7月号の記事索引で、平成5年5月号にのみ「県内(裁判)」に、【弁護士ファイル】という項目があり、93、301、577、849、1173ページに「離婚で夫に請求できる財産分与の割合は?」というような記事の見出しが並んでいました。

 最初の93ページがその離婚の法律相談で記憶とはずいぶん印象の違った畠山美智子弁護士の顔写真がありました。他に見覚えのある被告発人木梨松嗣弁護士の記事とそこに掲載された顔写真もあったのですが、あるはずの被告発人岡田進弁護士と被告発人長谷川紘之弁護士の記事が見当たりませんでした。

 今考えると、被告発人岡田進弁護士と被告発人長谷川紘之弁護士の記事は平成5年8月以降で、再開された【弁護士ファイル】の連載になるのかもしれません。なぜ7月で調べるのを辞めたのかというと、7月20日になっていた9月7日の判決前の公判よりあとに被告発人木梨松嗣弁護士の接見はなかったからです。

- 山田一夫検事 - Google 検索 https://t.co/kn1UHScOv8

- 法務・検察幹部名簿(2020年7月17日時点・生年月日順) | 弁護士山中理司のブログ https://t.co/j9Ca2RWXI6

 不可解な現象ですが「82 山田利行 44 期 1965年5月11日 55 歳 2019年7月16日 旭川地検検事正 ( 東京高検刑事部長 )」の山田の部分に2回の検索該当があり、裏地の色が変わります。ページ上部に「2/1」と「2/2」の変化に対応しています。現象を写真撮影で記録しました。

- TW kk_hirono(刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中) 日時:2022-07-22 07:34 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1550247765963591680



> iPhone: ./2022-07-22_072730_KK_山田の部分に2回の検索該当があり、裏地の色が変わります。ページ上部に「2/1」と「2/2」の変化に対応しています。.JPG https://t.co/mAHbEpLK6U

- TW kk_hirono(刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中) 日時:2022-07-22 07:34 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1550247777040736256



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 検察幹部名簿というのはしばらく前にもネットで見ていたのですが、今回は生年月日があってそれが珍しく感じたのですが、たぶん同じ弁護士のブログ記事になると思います。裁判官の情報も多い弁護士山中理司のブログになります。

- 刑事告発・非常上告\金沢地方検察庁御中(@hirono_hideki)/「山田一夫」の検索結果 - Twilog https://t.co/piqFfoPgKa ツイートが見つかりませんでした

- 刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中(@kk_hirono)/「山田一夫」の検索結果 - Twilog https://t.co/bWdyKnChqs ツイートが見つかりませんでした

- 非常上告-最高検察庁御中_ツイッター(@s_hirono)/「山田一夫」の検索結果 - Twilog https://t.co/uRQKGMFelD ツイートが見つかりませんでした

 念のため調べておいたのですが、3つのアカウントで「山田一夫」の該当はありませんでした。それと思われる金沢地方検察庁の検事正の割と大きい写真付き記事が記憶にあるのですが、白黒の写真で新聞記事で見たような記憶です。北國新聞縮小版かもしれません。

 平成3年12月という金沢地方検察庁検事正の就任時に北國新聞の記事があったとも考えられます。そういえば平成4年の1月あたりと見当をつけていた暴走族の少年の死亡事故の記事を調べるのを忘れていたことを思い出しました。被告訴人多田敏明が参加していたという集団暴走での事故です。

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 昨日出かける前にアップロードしていた珠洲市三崎町のFNさんの名刺の画像になります。PDFファイルからjpgの画像ファイルを作成し、画像編集ソフトでマスキングをしました。PDFファイルから見つけたとき、マジックの書き込みが意外に思ったのですが、表面は名刺と同じ電話番号でした。

 気がつくまでしばらく間があったのですが、裏面の書き込みが62-XXXXという形式の電話番号になっていて、現在も0768-62-XXXXとなっている宇出津の電話番号とわかったので、その番号で検索したところ名前と住所が特定でき、場所がGoogleマップで宇出津の城山になっていました。

 名前も心当たりがなかったですが、なぜわざわざ珠洲市三崎町のFNさんの名刺に特定の電話番号が手書きされているのか謎です。

 名刺の表面の会社の住所は野々市町となっていましたが、私が長い間、金沢市と勘違いをしていた地名で金沢市内に隣接した場所になるかと思います。石川郡野々市町ですが現在は野々市市になっています。

 珠洲市三崎町のFNさんは瓦屋の仕事を長く続けているように聞いていたのですが、名刺には「立体駐車場設置・住宅リフォーム 24時間家庭温泉システム」とあります。家の中のわかりやすい場所で頻繁に開ける引き出し中に入っていた名刺で、福井刑務所を出てから早くに見つけていたように思います。

 現在思い出せる範囲になりますが、珠洲市三崎町のFNさんと最後にあったのは、金沢市場輸送で4トン保冷車の長距離の仕事を始めた間もない頃で、昭和59年の1月から3月の間になると思います。場所は金沢の香林坊の近くの古いアパートで、私の能都中学校の同級生の女性と同棲生活をしていました。

 前後のことは全く思い出せないのですが、一人で遊びに行き、帰りに二人から手厚い見送りを受けたのがとても強く印象に残っていて、大きなアパートの2階の部屋でしたが、田舎の漁港にある倉庫のような建物で、香林坊の近くという場所にもそぐわず不思議な感覚で、映画で見たような場面のようです。

 香林坊の近くと記憶にあるのですが、住所が香林坊とは聞いておらず、周辺の建物が少なく空き地が駐車場になっていたと記憶にあります。なお、片町と隣接した香林坊は金沢市の中心部で繁華街になります。隣接していますが片町より香林坊の方が知名度は高そうです。

 珠洲市三崎町のFKさんとは友達の友達のような関係でしたが、誰かの口利きがあったのか、しばらく居候をした時期がありました。仕事をしていた瓦屋の寮になるのかと思いますが、とても古い家だったと思います。場所は金沢市の白菊町、時期は昭和58年の春になります。

 この白菊町の家についても書いておきたいことがあるのですが、名刺の件を片付けておきます。

 家に珠洲市三崎町のFNさんの名刺があることは心当たりがありました。平成4年5月28日に金沢刑務所の拘置所に移送されて、それからしばらく経って頃になると思いますが、面会の時に被告発人大網健二から聞いた話になると思います。

 被告発人大網健二が珠洲市三崎町のFKさんに頼んだという話で、私の母親がゴルフ場の仕事をしたが小便が近いのですぐにやめたということでした。内臓のどの部分か忘れましたが、自分は本来1つの臓器が2つあるので小便が近いと母親は私や他の人に話すことがありました。

 白菊町の家で被告発人大網健二と一緒になった記憶はありません。被告発人大網健二が東京の台東区で生活をしていた時期になりそうです。その昭和58年の2月ぐらいに東京に行ったと考えられます。白菊町の家でよく顔を合わせたのは姫のNKさんでした。

〈〈〈 2022/07/22 09:08:37 Linux Emacs: 〈〈〈

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